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2006年07月23日 (日)

天皇さまが泣いてござった

 奇妙な富田メモが世間を騒がしているようである。

昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀
 朝日新聞 2006年07月20日11時12分
TKY200607200197.jpg 昭和天皇が死去前年の1988年、靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)されたことについて、「私はあれ以来参拝していない それが私の心だ」などと発言したメモが残されていることが分かった。当時の富田朝彦宮内庁長官(故人)が発言をメモに記し、家族が保管していた。昭和天皇は靖国神社に戦後8回参拝。78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝していなかった。A級戦犯合祀後に昭和天皇が靖国参拝をしなかったことをめぐっては、合祀当時の側近が昭和天皇が不快感を抱いていた、と証言しており、今回のメモでその思いが裏付けられた格好だ。
(省略)

 この報道を聞いたときに、「自分たちで勝手に天皇の心情を察して、天皇のためになることなら何をしてもいいという解釈をし、クーデターを起こした皇道派による2.26事件」を思い出した。

・開戦に至るまでのターニングポイント
 あの戦争は、何だったのか
1.発言せざる天皇が怒った「2.26事件」

「大善」をなした青年将校たち

 昭和10年前後、天皇親政を唱える軍人たちの間で使われた言葉があった。「大善」、「小善」という二つの言葉である。

 天皇に忠を尽くす際には、「大善」と「小善」、二種類の行動の取り方があるというのだ。「小善」は、軍人勅諭に書かれてある通り忠実に天皇に仕えること。そして、「大善」とは、「陛下のお御心(おおみこころ))に沿って、”一歩前に出て”お仕えすること」。彼らにとってもちろん「大善」の方が優位であると考えられていた。しかし、それは裏を返せば、自分たちで勝手に天皇の心情を察して、天皇のためになることなら何をしてもいいという解釈になる。たとえ、天皇の大権に叛くことでも、大きな意味で「大御心に沿っている」のなら、それも許されるとした。

 「2.26」での青年将校達の決起は、彼らにしてみれば、まさに大善となる行動であった。

 さて、「2.26」を語るには、この頃の軍内にあった二つの派閥について押さえておかなければならないだろう。二つの派閥とは、天皇親政を急進的に望む「皇道派」と、もう一つは「統制派」である。

 「統制派」は、日本の喫緊の問題は国家総力戦に見合う高度国防体制を作り上げることであり、それには合法的に軍部が権力を手に入れ、国家総動員体制、"統制"経済体制にしなければならぬ、という考え方を持つ者たちであった。
 
 統制派の者たちは陸軍上層部に多く、非合法活動を徹底的に排除した。対ソ戦よりもむしろ中国制圧に比重を置く実利的な考え方を持っていた。代表的な人物として教育総監の渡辺錠太郎、陸軍省軍務局長の永田鉄山などがあげられよう。

 それに対して皇道派は、陸軍士官学校を卒業したばかりの原隊付き勤務にあった青年将校、20代半ばから30代の血気盛んな若者が多かった。今の腐敗した日本は天皇の意に沿う国家ではない」と、理想的な国家を作るためには非合法活動も辞さない、「大善」を信奉する者たちであった。元陸相の荒木貞夫、元参謀次長の真崎甚三郎らがリーダとなり、青年将校たちを焚きつけていた。天皇制打倒を説く共産主義国家のソ連を目下の敵とした。

 (省略)人事をめぐって反目は次第に激しく、感情的になっていく。
 
 そして昭和10年8月、ついに事件は起こった。真崎が統制派の陸軍幹部による人事で要職から外されることをきっかけに、皇道派将校たちの怒りが頂点に達した。怒った将校の一人、相沢三郎中佐が、白昼堂々と陸軍省軍務局長室に乗り込み、軍刀で永田鉄山を斬殺したのである。
 
 この相沢の行動が呼び水となり、一気に他の皇道派将校にも火をつけた。(省略)およそ1500人によるクーデターへとなっていったのである。
 
 (省略)本書で押さえておきたいのは、「事件」後の影響力である。

 内務大臣秘書官長の木戸幸一による『木戸幸一日記』には、「事件」時の天皇の発言として、こう書かれている。
 
 「今回のことは精神の如何を問はず甚だ不本意なり」と。

 天皇は、気丈にも「断固、討伐」を言い続けたわけだが、肉体的恐怖は想像を絶していたと思う。

 なぜなら岡田啓介首相以下、6人の要人たちが狙われ、その内、内大臣の斉藤実は47ヶ所も拳銃や機関銃を撃ち込まれている。高橋是清蔵相は撃たれた上に左腕を切られた。教育総監の渡辺錠太郎は婦人の前で惨殺され、という具合に、「天皇親政」の大善を理由にして、3人が虐殺された。3人とも機関銃で銃殺された後、滅多切りにされ、肉片が飛び散っていたという。それは酷い光景だった。
 
 そして以後、「2.26」によって刻みつけられた"テロの恐怖"はあらゆる場面、至る所で影響力を及ぼしていくことになる。

 (省略)テロの恐怖が広がったのをいいことに、軍はそれを巧みに利用していく。「軍のいうことを聞かなければ、強硬発動するぞ・・・」と暗に仄めかすのだ。
 
 そうすると政治家たちはみな近衛のように腰が引けてしまい、軍に対して何も言えなくなってしまう。

 昭和7年の血盟団事件に端を発する恐怖の連鎖の極点としての「2.26」、それは日本が開戦に至るまでの一つの大きなターニングポイントとなった。

 2.26事件では、「天皇のそばにいて国民の思いを曲げて伝えるものを討つ」といって決起した陸軍の青年将校が、逆に、天皇陛下から、「断固、青年将校を討伐せよ」と強い意思表示をされた。結局、決起した青年将校が討伐しようとした相手は、天皇陛下にとっては最も頼りとする臣であったのだ。

 マスコミの報道や、本日のサンデープロジェクトでの加藤紘一議員の発言は、青年将校のそれと同じように思えた。
 
 2.26事件後は、青年将校を討伐した東条英機が評価され、栄達していく。そして、アメリカとの戦争に反対する国際感覚に優れていたアメリカの駐在武官の山内正文、磯田三郎、ロンドン駐在武官の辰巳栄一などは、東条に煙たがられ中枢から外されていった。ここで、東条の罪は、戦争で負けたことであり、本当の罪は、赤化するロシアの脅威を警戒する日本に対して理解を示さず、むしろ日本に対して敵対視するアメリカだったことも付け加えておく。

 また、「断固、青年将校を討伐せよ」と発言された天皇陛下は、まるで自らが意思表示することの意味の大きさを思い知り、それを恐れるかのように、その後、一切語らぬ存在となったのである。天皇陛下は、日米開戦に反対であったと思われるが、そうした意向も開戦が決まるまで表に出すことはなかったようだ。

 ご自身の発言の重さ感じられているというお姿は、マッカーサーとの会談のお話からでも察することができる。

・序文「発刊をねがう」 元掌典長 永積寅彦
 天皇さまが泣いてござった
戦争犯罪人容疑者として逮捕連行された方々が、最初は横浜刑務所にいらっしゃったようですが、やがて大森の刑務所にお移りになられて、11月になって巣鴨の刑務所にお移りになられて、まなしの日でした。

 先帝が「木戸は可哀想なことをした。刑務所の中でさぞつらい生活をしているだろうなあ」と申されたので、私は何か胸の中が一杯になるような気がしました。そのとき「先日マッカーサー元帥とお会いなされたときは如何でございましたでしょうか」と申し上げてみますと、先帝はただ黙ってお返事はございませんでした。これはあとで伺ったところですが、先帝はマッカーサー元帥との会談の内容を絶対に洩らさないというお約束をマッカーサー元帥となさっていらっしゃったそうです。そして、このことは先帝御在世中は、最後までこの約束を守り通していらっしゃるのでございます。

 このように陛下が普段の生活からご自身の発言に気を使われているのに、富田メモなるものが簡単に流出されるということは、正常ではないと考える。

 ちなみに、2.26事件以後、発言されなかった陛下が再び発言されたのは、ポツダム宣言を受諾するか拒否するかでもめていたときである。
 
・序文「発刊をねがう」 元掌典長 永積寅彦
 天皇さまが泣いてござった
 ポツダム宣言を受諾か拒否かということについての御前会議のとき、きびしいお言葉を申されたことは、既にご承知と思いますが、先帝が「これ以上、無辜の人達の命が失われるようなことがあってはならない」と申されたお言葉が日本に終戦をもたらしたのですが、この先帝のお心はずーと以前からお持ちであったのです。

 さて、陛下のお心のあたたかさをあらわすエピソードをご紹介させて頂く。
 
・序文「発刊にあたり」 元侍従長 入江相政
 天皇さまが泣いてござった
 それは昭和6年のことでした。熊本で大演習があり、陛下はこの大演習におのぞみになられました。演習が済んでから、鹿児島から軍艦榛名(はるな)にお召しになられて、海路を東京へ向かわれたのです。
 
 鹿児島でご乗艦され、鹿児島湾をずーと南へすすまれたのですが、御召艦榛名が鹿児島湾の出口を過ぎて外海にかかろうとする頃には、すでにあたりは夜になっておりました。

 とその時、10キロ以上も離れた薩摩半島が暗闇の中にかすかに見えてきました。

 ところが何とその鹿児島半島には沿岸一帯に篝火(かがりび)があかあかと焚かれているのです。
 
 そしてその篝火の周囲一帯に提灯(ちょうちん)が驚くほど沢山灯されて、その提灯が懸命に打ち振られているのです。
 
 更に山の上にも若人達でしょう、海岸の篝火よりもっと火勢の強い篝火を焚いているのです。
 
 その多くの人達が真心をこめて、陛下を見送るために計画した行為が、静かな海面に写し出されて、それはまるで絵のような美しい光景でした。

 この想像もしなかったお見送りに御召艦榛名の乗組員の人達までが、甲板で鈴なりになるようにこの薩摩半島の光景に見とれたものでした。
 
 しかし、御召艦がだんだんすすみ、提灯も灯も遥か遠くになってまいりますと、鈴なりになっておった人達も一人去り、二人去りして、しばらくするとすっかり人影はなくなりました。

 御召艦は殆ど外海に出かかっております。あたりは静粛の闇に包まれてきたのです。

 甲板には誰一人いないと思われました。ところがそのときになって木下侍従が陛下のお姿が見えないことに気付いたのです。
 
 慣れない軍艦の中を探しても探しても陛下の姿は見あたりません。
 
 とうとう最後に甲板に出てみると、誰もいないと思っていた甲板に一人だけの人影があるんです。
 
 はっと思って近付いてみると、陛下なんです。あたりは真暗です。

 木下侍従長がはっとして薩摩半島の方を見ると、遠く離れてはいるけれど、まだ篝火が焚かれています。
 
 そして無数の提灯が打ち振られているのです。
 
 勿論薩摩半島からは、真暗な海の上にある榛名の姿は見える筈はないんです。
 
 でも集まった多くの方々は、あそこに天皇陛下が乗っていらっしゃる御召艦がある、その御召艦の天皇陛下に心から「ばんざい」と叫ばずにはいられない、提灯を振らずにはいられないという気持ちで、多くの方々が見送っているのです。
 
 勿論薩摩半島からは見えないけれど、こうした多くの方々は自分の気持ちを精一杯打ち振る提灯にこめて現さずにはおられないということであったと思うのです。

 ところがそうした中で、陛下はどうしていられるかと木下侍従長が見ますと、何と陛下は直立不動の姿勢で挙手の礼をしていらっしゃるのです。
 
 薩摩半島から御召艦榛名は見えなくても、集まった方々は天皇陛下に対して篝火を焚き、提灯を振り、天皇陛下ばんざいを叫ばずにはいられなかったのです。
 
 それに対して陛下は御召艦榛名の甲板上で、ただお一人直立不動で挙手の礼をされていたのは、この薩摩半島の方々の真心をもっての行いに、真心をもってお応えになったということであったのです。
 
 このことは深い感銘を木下侍従に与えました。木下侍従は感銘の中からこのことを書き残さずにはいられなかったのです。(省略)

 このような心優しい陛下が、ポツダム宣言受諾後に、マッカーサーによって不合法に戦争戦犯と称して摘発されたときには、さぞ、お心を痛めたに違いない。

・序文「発刊をねがう」 元掌典長 永積寅彦
 天皇さまが泣いてござった
 もしかしたら明日先帝は命をかけていられるのではないかというようなことをふっと思ったのでございます。

 と申しますのも、あおの当時ポツダム宣言の受諾、そしてマッカーサーを上に頂いた連合軍が日本に進駐してまいりまして、一番に手をつけたのが戦争犯罪人の摘発ということであったのです。
 
 それは先帝の御意を踏み躙って戦争を遂行した方々も多かったのですが、国と国との戦いで、戦勝国が敗戦国を裁くといったことはまことに不合理のことのように思われました。
 
 私も国際法というものは卿か存じおるものですが、この戦勝国と敗戦国との間にも、国際法に則って戦争の終結をはかるべきであったのに、マッカーサーというお方はこうした国家として守るべき法律というものをご存知なかったように思われるのです。

 
 マッカーサーというよりアメリカという国が歴史の浅い国だから、こうしたことをご存知なかったのかもしれません。

 本日、東条のお孫さんが、陛下がご家族に対してもお気遣いされていた旨の内容が、サンデープロジェクトにて放送されていた。

 それらを勘案すると、戦争で亡くなられた多くの方々を思うとひどくお心を痛めていたに違いない。晩年の陛下が、体調が芳しくないにも関わらず、8月15日の全国戦没者追悼式に、ヘリコプターを乗り継がれて九段までお出向きになられているお姿からも察することができる。

昭和天皇お誕生日祝宴での異変
 Let's Blow! 毒吐き@てっく
富田メモの翌日の話ね
4月28日と聞いて天皇誕生日の前日だとすぐに思った

昭和62年4月29日、昭和天皇の86歳のお誕生日をお祝いする、「祝賀の儀」の後、「宴会の儀」が宮殿の大食堂豊明殿で行われた。この宴会の最中に天皇陛下が戻されたのだ。このときは、そばに着席されていた美智子様たちがすぐ気づかれ、侍従にお伝えになり、急いで陛下を宮殿内の控え室にお運びした。

稲尾さんの「昭和天皇の魅力」より抜粋

陛下はガンだった

この年の夏の那須御用邸でのご会見が、陛下の最後のご会見となった
陛下は青ざめたご表情で、無理に笑顔を作られようとされるが、ひきつったようになられたままだった

帰京されてからわずか5日後の9月11日には黄疸症状が見られ、2週間ほどあとの19日には最初の大量吐血をされ、崩御までの111日間の長い闘病生活に入られた

この最後の那須御用邸でのご生活の途中で、8月15日の全国戦没者追悼式に、ヘリコプターを乗り継がれて九段までお出向きになっている
ガンに侵されて、大変お辛い中でも、責任感の強い陛下は病をおして揺れの強いヘリコプターを利用されてまで、戦没者の追悼にご臨席になった

同じ年の9月に腸のバイパス手術(十二指腸空腸吻合術)を行われ、翌年1月7日、午前6時30分、皇后陛下、皇太子同妃両殿下はじめ皇族各殿下、ご近親の方々が見守られる中、昭和天皇は崩御された

 御年87歳であらせられた

 以上、「メモが簡単に流出したこと」「陛下のお心の優しさ」などから推測すると、合祀云々に関わらず靖国神社にも参拝されたかったと考えるのが妥当であり、「富田メモ」の信憑性に疑問が残る。そもそも、靖国神社に陛下が参拝できないように中国を巻き込んで問題を大きくしたのは、マスコミだったのではなかろうか。

 とりあえず、マスコミの報道を信用していなかったのだが、せっかくなので根拠を述べてみた。

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【追記7/24】
 宣戦布告しなかった真珠湾攻撃が、ハーグ陸戦条約に違反し、卑怯だというアメリカは、ハーグ陸戦条約の第四十三条で禁止されている被占領国の基本法(憲法や教育基本法)を変えてきた。

 また、国際法に則って戦争の終結をはかるべきであったのに、極東国際軍事裁判(東京裁判)にて、国際法違反の事後法などで勝手な理屈で罪を負わせてきた。陛下のお人柄を考慮すると、さぞ悔しかったに違いない。

極東国際軍事裁判(東京裁判) フラッシュ音声有り

 このアメリカの罪も大きいが、押し付け憲法などを本来の姿に戻すことなく、ありがたく守ろうとする国民の罪はもっと大きいと思う。たかだか靖国参拝程度が問題になり、本丸である憲法や教育などを有るべき姿に戻す作業までには辿りつかない。この国の行く末を危惧する。

 ところで、富田メモ中の発言者が明らかになったようだ。

日経バレちゃったね!(天皇発言は実は藤尾文相発言なの?)
 この国は少し変だ!よ~めんのブログ
メモの本当の全文

 前にもあったが どうしたのだろう
 中曽根の靖国参拝もあったが
 藤尾(文相)の発言。
 =奥野は藤尾と違うと思うがバランス感覚の事と思う、単純な復古ではないとも。
 私は或る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが、
 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが松平の子の今の宮司がどう考えたのか
 易々と松平は平和に強い考えがあったと思うのに、親の心子知らずと思っている
 だから 私あれ以来参拝していない。それが私の心だ。

ここまで
>>>>>>>>

はい、そうです、
中曽根総理大臣の靖国参拝を中止したことが話題になっていた当時の、藤尾元文相の発言です。昭和天皇の発言ではありません。

 「今回のメモが、昭和天皇が合祀に関して不快感を抱いていたことを裏付ける決定打である」と威勢良くサンデープロジェクトで述べていた加藤紘一議員は、どのような言い訳をするのだろうか。この問題の類例として、次の意見があるようだ。

「A級戦犯合祀不快発言」という情報戦を仕掛けているのは、誰か?
 文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』
小泉官邸は情報工作の達人です。

全ての新聞テレビは小泉官邸の味方です。

前原永田のメール問題を思い出してください。

冷静に状況を判断しなければまた「小泉官邸マスゴミ」に一杯食わされます。

冷静に対処するのが懸命だと私は思うのですが…

 いずれにせよ、利権に左右されるマスコミの発言を愚直に信じると正しい判断ができず、失敗することがわかった。

【関連記事】
・(H17.07.05)我々が東京裁判の不当な扱いを払拭しなければ戦後は終わらない
・(H18.06.11)マスコミで今も続くGHQの検閲の仕掛け
・(H18.07.17)国益を蔑ろにし、敵対国家朝鮮の意向を垂れ流すマスコミ


【参考書籍】
天皇さまが泣いてござった [著]しらべ かんが

あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書
新潮社 [著] 保阪 正康
ASIN:4106101254 /新書/251頁
発売日:2005-07
ランキング&評価:---位 4.0
価格:¥ 756 [2006-07-23 Amache]
5 - センタリング
2 - 唖然。
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3 - 全体の流れを把握できる、が…
5 - 太平洋戦争を見事に読みやすくまとめた本。著者のメッセージが非常に明確


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