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2006年02月13日 (月)

秀吉の慧眼によって救われた大航海時代の危機

 15世紀末のヨーロッパにて大航海時代が始まると、ポルトガルとスペインによる地球分割計画がたてられ、1521年にはスペインの魔の手がフィリピンにまで及ぶようになってきた。
 日本に鉄砲が伝わったのは、それから約20年後のことであった。

安土桃山時代
 ますます日本!
鉄砲伝来 [1543年/於・大隅国種子島]
寧波へ向かう予定であったメンデス= ピントー率いる船は、嵐によって種子島に漂着した。南浦文之[なんぽぶんし]が著した『鉄炮記』によると、船員のゼイモトの放った火縄銃の威力に驚いた当主種子島時堯は、莫大な財を彼らに与えてこれを2丁購入したようである。鉄砲は元来刀鍛冶の技術があった日本では爆発的に広まり、堺・根来・国友などには専門的に鉄砲を製造する鉄砲鍛冶が出現した。

 刀鍛冶の技術があった日本では、専門的に鉄砲を製造する鉄砲鍛冶が出現し、鉄砲が爆発的に増えた。ここで、鉄砲普及の基盤となった刀鍛冶の当時の位置づけについて引用させて頂く。

・「刀」-なぜ武士の魂なのか
 武士道 新渡戸稲造(著), 奈良本 辰也 (翻訳)
刀は忠誠と名誉の象徴
(省略)
 日本の社寺や名家では、刀を崇拝の対象にして収蔵している。ごくありふれた短刀に対してでさえ、それに応じた敬意が払われた。すなわち刀に対するいかなる無礼もその持ち主に対する侮辱とみなされた。床に置かれた刀を不注意にまたぐ者に禍あれ!
 このように貴ばれる品物は、いつまでも工芸家の関心や技巧、あるいは所有者の虚栄心から逃れることはできない。刀が司祭の笏杖(しゃくじょう)や、王の笏のような役目しかもたない泰平の時代には、特にそうであった。鮫皮の柄、最上質の絹巻き、金や銀の鍔(つば)、さまざまな色の漆塗りの鞘(さや)などは、この凶器からその恐怖の半分をとり去ってしまった。だがこれらの装飾の数々は、刀身そのものとくらべると玩具にすぎない。

鍛冶は重要な宗教的行為だった
 刀匠は単なる鍛冶屋ではなく、神の思し召しを受ける工芸家であった。その仕事場は聖なる場所ですらあった。彼は毎日、神仏に祈りを捧げ、みそぎをしてから仕事をはじめる。あるいは、いわゆる「彼はその心魂気迫を打って錬鉄鍛冶した」のである。大槌を振り、水につけ、砥石で研ぐ、これらすべてがたいへん重要な宗教的行為であった。日本の刀剣が人を畏怖させるほどの魔力をもつのは、この刀鍛冶たちの気迫によるのだろうか。あるいは彼が加護を祈った神仏の霊気によるものだろうか。
(省略)

 余りにも急速に鉄砲が普及されたため、次のような説もあるようだ。

火縄銃
 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

(省略)
注:ただし、日本での鉄砲普及のスピードからして1543年の種子島以前にすでに鉄砲伝来はなされていたのではないかという説、同時期に複数箇所に渡来したと言う説があり、近年ではこの説のほうが有力になりつつある。

 鍛冶屋の能力が高すぎたのか、上記説が正しいのかはともあれ、鉄砲は、普及した。

平和と環境保全のモデル社会-江戸
 国際派日本人養成講座 平成10年2月14日
■3.ヨーロッパより進んでいた技術革新■
 近代世界システムとの最初の遭遇の時から、日本人は驚くべき適応能力を示した。1543年に種子島に最初の鉄砲が伝えられてから一年とたたぬうちに、日本人はその製造技術を修得し、十年もすると日本中の鉄砲鍛冶が大量に生産を始めた。

 銃の改良自体もヨーロッパ以上のスピードで進み、螺旋状の主導バネと引き金調整装置を発達させ、銃身の破壊を防ぐ鉄鋼の製造にも成功している。鉄砲を使った戦法も世界一で、1573年、織田信長が武田の騎馬武者を駆逐した長篠の戦いで見せた3000人の鉄砲隊を三分隊に分けて、一斉射撃を繰り返す戦法は、基本的には第一次大戦まで通用するものだったという。[2,p52]

 その12年後、フランスのアンリ4世が勝利を収めたクトラの戦いで25名の鉄砲隊を各槍隊の間に配置した程度に過ぎなかった事も見ても、鉄砲使用の規模と質において、当時の日本がいかに進んでいたかが分かる。ポルトガル、スペインも、日本の軍事力を見て侵略を諦めざるをえなかった。

[参考]
2.「鉄砲を捨てた日本人」、ノエル・ペリン、川勝平太訳、
  中公文庫、1991

 そして、この頃に第一次大戦まで通用すると言われる鉄砲を使った一斉射撃の戦法が考えられていた。そのため、日本の軍事力を見てポルトガルやスペインは、侵略を諦めざるをえなかったと言われている。まさに、鉄砲伝来と鉄砲製造技術よって圧倒的な軍事力を有していたことが侵略の危機を防いだのである。
 しかし、したたかなスペインは、シナを侵略するのに日本の軍事力を活用しようと考え、キリストの教えを巧みに利用して大名を唆す戦法をとってきたのである。

キリシタン宣教師の野望
 国際派日本人養成講座 H12.09.03
■1.日本布教は最も重要な事業のひとつ■

 イエズス会東インド巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ
は日本に3年近く滞在した後、1582年12月14日付けでマカ
オからフィリッピン総督フランシスコ・デ・サンデに次のよう
な手紙を出した。

 私は閣下に対し、霊魂の改宗に関しては、日本布教は、
神の教会の中で最も重要な事業のひとつである旨、断言す
ることができる。何故なら、国民は非常に高貴且つ有能に
して、理性によく従うからである。

 尤も、日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不
向きである。何故なら、日本は、私がこれまで見てきた中
で、最も国土が不毛且つ貧しい故に、求めるべきものは何
もなく、また国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練
を積んでいるので、征服が可能な国土ではないからである。

 しかしながら、シナにおいて陛下が行いたいと思ってい
ることのために、日本は時とともに、非常に益することに
なるだろう。それ故日本の地を極めて重視する必要がある。
[1,p83]

 「シナにおいて陛下が行いたいと思っていること」とは、スペイン国王によるシナの植民地化である。日本は豊かでなく、強すぎるので征服の対象としては不向きだが、その武力はシナ征服に使えるから、キリスト教の日本布教を重視する必要がある、というのである。

■2.シナ征服の6つの利益■

 スペインの勢力はアメリカ大陸を経て、16世紀半ばには太平洋を横断してフィリピンに達し、そこを足場にしてシナを始めとする極東各地に対し、積極的な貿易と布教を行っていた。

 宣教師達はその後もスペイン国王にシナ征服の献策を続ける。1570年から81年まで、10年以上も日本に留まってイエズス会日本布教長を努めたフランシスコ・カブラルは、1584年6月27日付けで、スペイン国王あてに、シナ征服には次の6つの利益があると説いている。

 第1に、シナ人全体をキリスト教徒に改宗させる事は、主への大きな奉仕であり、第2にそれによって全世界的に陛下の名誉が高揚される。第3に、シナとの自由な貿易により王国に多額の利益がもたらされ、第4にその関税により王室への莫大な収入をあげることができる。第5に、シナの厖大な財宝を手に入れる事ができ、第6にそれを用いて、すべての敵をうち破り短期間で世界の帝王となることができよう、と。

 このようにスペイン帝国主義と、イエズス会の布教活動とは、車の両輪として聖俗両面での世界征服をめざしていた。

■3.日本人キリスト教徒の「ご奉公」■

 さらにカブラルはシナ人が逸楽にふけり、臆病であるので征服は容易であると述べ、その例証に、13人の日本人がマカオに渡来した時に、2~3千人のシナ人に包囲されたが、その囲みを破り、シナ人の船を奪って脱出した事件があり、その際に多数のシナ人が殺されたが、日本人は一人も殺されなかった事件をあげている。

 私の考えでは、この政府事業を行うのに、最初は7千乃
至8千、多くても1万人の軍勢と適当な規模の艦隊で十分
であろう。・・・日本に駐在しているイエズス会のパード
レ(神父)達が容易に2~3千人の日本人キリスト教徒を
送ることができるだろう。彼等は打ち続く戦争に従軍して
いるので、陸、海の戦闘に大変勇敢な兵隊であり、月に1
エスクード半または2エスクードの給料で、゚澆箸靴討ウ
の征服事業に馳せ参じ、陛下にご奉公するであろう。
[1,p95]

 日本に10年以上も滞在したイエズス会日本布教長は、日本人を傭兵の如くに見ていたのである。

■4.人類の救済者■

 宣教師は教会のほか、学校や病院、孤児院を立てた。地
球が球形であることを伝え、一夫一妻制を守りるよう説い
た。これらにより、キリスト教の信者が西日本を中心に増
えた。この当時、キリスト教とその信者をキリシタンとい
った。[2,p117]

 中学歴史教科書の一節である。同じページにはザビエルの肖像画があり、そこに記されたIHSという文字について、「イエズス会の標識で『耶蘇、人類の救済者』の略字」と説明される。キリシタン宣教師達は、まさに未開の民に科学と道徳を教え、社会事業を進める「救済者」として描かれている。

 数ページ後には家康によるキリシタン弾圧が次のように描かれている。

 家康は貿易のために、はじめキリシタンを黙認していたが、やがて禁教の方針をとった。信者に信仰を捨てるように命じ、従わない者は死刑にした。[1,p130]

 さらに家光が、「キリシタンを密告した者に賞金を出すなどして、キリシタンを完全になくさせようとした」事を述べ、厳しいキリシタン取り締まりに島原・天草で約4万人の農民が一揆を起こして、「全滅」した事を述べている。

 この教科書を読んだ中学生は、「救済者」達に対するなんと野蛮な宗教弾圧かと思うであろう。しかし、なぜ家康は黙認から禁教へと方針を変えたのか、については一言も説明がない。秀吉も同様に、初めのうちはキリシタンを奨励していたのに、急に宣教師追放令を出している。いずれもキリシタン勢力から国の独立を守ろうとする秀吉や家康の防衛政策なのである。

■5.日本準管区長コエリョの秀吉への申し出■

 キリシタン宣教師の中で、イエズス会日本準管区長ガスパル・コエリョは、最も行動的であった。当時の日本は準管区であったので、コエリョはイエズス会の日本での活動の最高責任者にあたる。

 天正13(1585)年、コエリョは当時キリシタンに好意的であった豊臣秀吉に会い、九州平定を勧めた。その際に、大友宗麟、有馬晴信などのキリシタン大名を全員結束させて、秀吉に味方させようと約束した。さらに秀吉が「日本を平定した後は、シナに渡るつもりだ」と述べると、その時には2艘の船を提供しよう、と申し出た。当時、日本には外航用の大艦を作る技術はなかったのである。

 秀吉は、表面はコエリョの申し出に満足したように見せかけながらも、イエズス会がそれほどの力を持っているなら、メキシコやフィリピンのように、我が国を侵略する野望を持っているのではないかと疑い始めた。

■6.コエリョの画策とバテレン追放令■

 翌々年、天正15年(1587)に秀吉が九州平定のために博多に下ると、コエリョは自ら作らせた平底の軍艦に乗って、大提督のような格好をして出迎えた。日本にはまったくない軍艦なので、秀吉の軍をおおいに驚かせたという。

 その前に秀吉は九州を一巡し、キリシタン大名によって無数の神社やお寺が焼かれているのを見て激怒していた。秀吉は軍事力を誇示するコエリョに、キリシタンの野望が事実であると確信し、その日のうちに宣教師追放令を出した。

 コエリョはただちに、有馬晴信のもとに走り、キリシタン大名達を結集して秀吉に敵対するよう働きかけた。そして自分は金と武器弾薬を提供すると約束し、軍需品を準備した。しかし、この企ては有馬晴信が応じずに実現されなかった。

 コエリョは次の策として、2,3百人のスペイン兵の派兵があれば、要塞を築いて、秀吉の武力から教界を守れるとフィリピンに要請したが、その能力がないと断られた。コエリョの集めた武器弾薬は秘密裏に売却され、これらの企ては秀吉に知られずに済んだ。[1,p109-114]

■7.秀吉のキリシタンとの対決■

 秀吉の朝鮮出兵の動機については諸説あるが、最近では、スペインやポルトガルのシナ征服への対抗策であったという説が出されている。スペインがメキシコやフィリピンのように明を征服したら、その武力と大陸の経済力が結びついて、次は元寇の時を上回る強力な大艦隊で日本を侵略してくるだろう。

 そこで、はじめはコエリョの提案のように、スペインに船を出させ、共同で明を征服して機先を制しよう、と考えた。しかし、コエリョが逆に秀吉を恫喝するような態度に出たので、独力での大陸征服に乗り出した。その際、シナ海を一気に渡る大船がないので、朝鮮半島経由で行かざるをえなかったのである。

 文禄3(1593)年、朝鮮出兵中の秀吉は、マニラ総督府あてに手紙を送り、日本軍が「シナに至ればルソンはすぐ近く予の指下にある」と脅している。[3,p372]

 慶長2(1597)年、秀吉は追放令に従わずに京都で布教活動を行っていたフランシスコ会の宣教師と日本人信徒26名をわざわざ長崎に連れて行って処刑した。これはキリシタン勢力に対するデモンストレーションであった。一方、イエズス会とマニラ総督府も、すかさずこの26人を聖人にする、という対抗手段をとった。丁々発止の外交戦である。

■8.天草をスペイン艦隊の基地に■

 全国統一をほぼ完成した秀吉との対立が決定的になると、キリシタン勢力の中では、布教を成功させるためには軍事力に頼るべきだという意見が強く訴えられるようになった。1590年から1605年頃まで、15年間も日本にいたペドロ・デ・ラ・クルスは、1599年2月25日付けで次のような手紙を、イエズス会総会長に出している。要点のみを記すと、

 日本人は海軍力が弱く、兵器が不足している。そこでも
しも国王陛下が決意されるなら、わが軍は大挙してこの国
を襲うことが出来よう。この地は島国なので、主としてそ
の内の一島、即ち下(JOG注:九州のこと)又は四国を包
囲することは容易であろう。そして敵対する者に対して海
上を制して行動の自由を奪い、さらに塩田その他日本人の
生存を不可能にするようなものを奪うことも出来るであろ
う。・・・

 このような軍隊を送る以前に、誰かキリスト教の領主と
協定を結び、その領海内の港を艦隊の基地に使用出来るよ
うにする。このためには、天草島、即ち志岐が非常に適し
ている。なぜならその島は小さく、軽快な船でそこを取り
囲んで守るのが容易であり、また艦隊の航海にとって格好
な位置にある。・・・

 (日本国内に防備を固めたスペイン人の都市を建設する
ことの利点について)日本人は、教俗(教会と政治と)共
にキリスト教的な統治を経験することになる。・・・多く
の日本の貴人はスペイン人と生活を共にし、子弟をスペイ
ン人の間で育てることになるだろう。・・・

 スペイン人はその征服事業、殊に機会あり次第敢行すべ
きシナ征服のために、非常にそれに向いた兵隊を安価に日
本から調達することが出来る。[1,p147-150]

 キリシタン勢力が武力をもって、アジアの港を手に入れ、そこを拠点にして、通商と布教、そしてさらなる征服を進める、というのは、すでにポルトガルがゴア、マラッカ、マカオで進めてきた常套手段であった。

 また大村純忠は軍資金調達のために、長崎の領地をイエズス会に寄進しており、ここにスペインの艦隊が入るだけでクルスの計画は実現する。秀吉はこの前年に亡くなっており、キリシタンとの戦いは、徳川家康に引き継がれた。

■9.国家の独立を守る戦い■

 家康が何よりも恐れていたのは、秀吉の遺児秀頼が大のキリシタンびいきで、大阪城にこもって、スペインの支援を受けて徳川と戦うという事態であった。当時の大阪城内には、宣教師までいた。大阪攻めに先立って、家康はキリシタン禁令を出し、キリシタン大名の中心人物の高山右近をフィリピンに追放している。

 1624年には江戸幕府はスペイン人の渡航を禁じ、さらに1637~38年のキリシタン勢力による島原の乱をようやく平定した翌39年に、ポルトガル人の渡航を禁じた。これは鎖国と言うより、朝鮮やオランダとの通商はその後も続けられたので、正確にはキリシタン勢力との絶縁と言うべきである。[4]

 キリシタン宣教師達にとっては、学校や病院、孤児院を立てることと、日本やシナを軍事征服し、神社仏閣を破壊して唯一絶対のキリスト教を広めることは、ともに「人類の救済者」としての疑いのない「善行」であった。その独善性を見破った秀吉や家康の反キリシタン政策は、国家の独立を守る戦いだった。これが成功したからこそ、我が国はメキシコやフィリピンのように、スペインの植民地とならずに済んだのである。

■リンク~近代世界システムと日本■
a. JOG(003) 悲しいメキシコ人
 メキシコ人は固有の文化・文明そのものをスペイン人に破壊されてしまった。日本人も戦国時代に同じ運命に陥る危険があった。

b. JOG(090) 戦争の海の近代世界システム
 海洋アジアの物産にあこがれて、ヨーロッパと日本に近代文明が勃興した。

c. JOG(024) 平和と環境保全のモデル社会:江戸
 鉄砲を捨てた日本人は鎖国の中で高度のリサイクル社会の建設に乗り出した。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
1. 「キリシタン時代の研究」★、高瀬弘一郎、岩波書店、S52.9
2. 「中学社会 歴史分野」、日本書籍、H9.1
3. 「国民の歴史」★★★、西尾幹二、産経新聞社、H11.11
4. 「歴史に学ぶ」★★★、村松剛、「日本への回帰 第17集」
 国民文化研究会編、S57.3

 このような秀吉像を歴史教科書では、どのように扱っているのであろうか?

・朝鮮出兵
 全「歴史教科書」を徹底検証する
朝鮮出兵に関して、「世界の歴史を背景に理解させ」ているか
(省略)
 十五世紀末に始まったスペインとポルトガルによる大航海時代の波は、その後数世紀にもわたる欧米植民地支配の起点となった。スペイン・ポルトガルは、まず武力をもって侵入し、直ちに神の恵みを説くカトリック宣教師をして純真な現地人を洗脳する。キリスト教布教と征服事業は初めから両輪だった。彼らによって絶滅させられた南米のインディオや、容易に植民地にされてしまったフィリピンの悲劇は、それをよく物語っている。日本にやってきた彼らもあわよくば日本を征服しようと考えていたようである(これについては、高瀬弘一郎『キリシタン時代の研究』に詳しい)。
 ところが、軍事的情勢から征服の方は諦めざるを得なかった日本の場合は、稀有の例外となったのである。何故かこうした事実を都合よく忘れ、日本ではキリシタンを弾圧・迫害したことばかりが針小棒大に取り上げられる歴史観がいまだに存在することは、残念なことである。
 本来は、キリスト教布教が間接侵略であることにいち早く気付き、断固たる処置を下した(バテレン追放令)秀吉の慧眼は、もっと注目されてしかるべきなのである。そうでなければ秀吉は一方的な宗教弾圧をしたひどい人物としての印象しか強調されず、魅力ある人間性に富んだ本来の秀吉の人物像は浮かび上がってこないのではないか。
 さて、このような世界情勢を東南アジア各地に張り巡らせた情報網から了知していた秀吉が、スペインの明征服の動きを事前に察知し、その前に自ら明を征服することを企てたとしても、何の不思議もないのである。当時、明征服を考えていたのはスペインと秀吉の他にも女真族がおり、実際には明は半世紀後、異民族たる女真族に征服されて清王朝が建てられたことは周知の通りである。秀吉の朝鮮出兵は、このような世界情勢の中で起こったことであり、今日の価値観からそれを「侵略」と糾弾することは、何の意味もないと言えよう。

朝鮮出兵を現在の価値観で裁断していないか
【東京書籍】朝鮮侵略(1ページ)
【大阪書籍】秀吉の朝鮮への侵略(1ページ)
【教育出版】秀吉の外交と朝鮮侵略(13行)
【日本書籍新社】秀吉が朝鮮を侵略する(1ページ)
【帝国書院】秀吉による朝鮮侵略(14行)「秀吉による朝鮮侵略」というキャプションの地図あり
【清水書院】秀吉の対外政策(コラム「秀吉の朝鮮侵略」)(1ページ)(省略)

※カッコ内は、朝鮮出兵に割いている分量

 ちなみに、16世紀末頃の明及び女真族の後金の勢力は以下の通りである。

16世紀のアジアと建州女真
 世界史地図理解
shin_01.gif
(省略)
東アジアでは中国が混乱期を迎えていたのである。中国東北地方で農牧・狩猟生活を営む女真族は、毛皮や人参の交易で利益を得ていたが、16世紀末、明の支配から自立し、建州女真のヌルハチのもとで他の女真諸部族を従え、1616年建国し国号を「アイシン(満州語で金の意)」とした(後金)。

 『全「歴史教科書」を徹底検証する』によれば、中核派率いる親の会や韓国によって普及を妨げられている「新しい歴史教科書」の扶桑社よりも、むしろ自国を侵略国扱いにする東京書籍、大阪書籍、教育出版、日本書籍新社、帝国書院清水書院の記述内容について危惧しているもよう。もう少し、祖国を愛せるような教科書を作っていただきたいものである。
 また、日本の教科書に難癖をつける国定教科書の韓国では、次のような捏造が行われている。

韓国歴史教育の捏造シリーズ(3)!秀吉の朝鮮征伐!
 木村研究所
kiyomasa2.jpg
(加藤清正公)

韓国国定中学校国史教科書


○国内統一に成功した豊臣秀吉は部下の将軍たちの関心を海外へ向けることで国内の不平勢力をなだめ、あわせて自身の大陸に対する侵略的野心をとげようとわが国を侵略した。これが壬辰倭乱である。


○海戦でつづけて勝利をあげているとき、陸地でも戦況がかわってきた。全国各地で儒生、農民、僧侶などが義兵を組織し、いたるところで倭軍をうち破り、苦しめた。



1)豊臣秀吉は中国(明)を征服しようとしたのである。朝鮮半島などただの通過点。戦ったのも主に明を相手に戦った。朝鮮はほとんど関係がない。

2)したがって、「日本の大明征伐」あるいは「朝鮮征伐」が正しい表現であり、「壬辰倭乱」という表現は事実を表していない。

3)「倭」というのは古代の呼び名。古代以降は国号を「日本」としており、「倭」と呼ぶのは偏狭な優越意識に凝り固まった韓国人の我が儘であり、正確な表現ではない。


また、日本が撤退したのは

・補給が続かなかったこと。
・豊臣秀吉の死亡。

であり、義兵の活躍は関係がない。
そもそも、日本軍はほとんどが無事に生還しており、少数の犠牲者も病死および餓死であり、戦闘の犠牲はほとんど無い。
戦闘で唯一日本軍を苦しめたのは朝鮮側に降った降倭と呼ばれる日本人だった。

 ここで、口直しに「新しい歴史教科書」の秀吉像を以下に記す。

秀吉の政治
 新しい歴史教科書
太閤検地と刀狩

全国統一が近づいた1582(天正10)年から、豊臣秀吉は、
各地の米の収穫高を土地ごとに調べさせ、土地の等級と石高を示す検地帳を作成した。(注1)
これを、太閤検地という。
検地によって、それまで公家や寺社など
荘園領主がもっていた田畑へのさまざまな権利は否定され、農民は土地の所有権を認められた。
そして、農民はその土地を治める大名などに、年貢を納めることになった。


秀吉はまた、1588(天正16)年、刀狩令を発して、
農民や寺院から刀や弓、槍、鉄砲などの武器を没収した。
この結果、社会の安全を保つのは大名をはじめ武士の役割とされ、
農民は耕作に専念することになった(兵農分離)。
こうして身分の区別が確定し、安定した社会秩序がつくられていった。


注1、土地の等級は、上田、中田、下田、下々田などであらわされた。
石高は、耕地一反(10アール)あたりの米のとれ高に耕地面積をかけて計算した。
畑や屋敷のある土地も、米のとれ高に換算された。


キリスト教の禁止

南蛮貿易を重視し、キリスト教の布教を認めていた秀吉は、
1587(天正15)年、突如としてバテレン追放令を発し、キリスト教を禁止する政策に転換した。(注2)

秀吉は、高山右近などの
キリシタン大名が信仰によって結束し、
統一のさまたげになるのをおそれたといわれている。
また、そのころ、フィリピンを拠点にしていた宣教師たちのあいだには、
キリスト教を広めるため、南アメリカで行ったりと同じように、中国や日本を武力で征服する計画があった。
秀吉のキリスト教への疑いにはそれなりの根拠があったのである。

ただし、秀吉は、貿易による利益を重視し、
南蛮商人の来航は引き続き認めたので、キリスト教の禁止は徹底しなかった。



注2、バテレンとはキリスト教の神父のこと。
ポルトガル語のバードレー(神父)からきた言葉。


朝鮮への出兵

約100年ぶりに全国統一を果たし、秀吉の意気はさかんだった。

秀吉は、中国の明を征服し、天皇とともに大陸に移り住んで、
東アジアからインドまでも支配しようという巨大な夢をもつにいたった。

1592(文禄元)年、秀吉は15万あまりの大軍を朝鮮に送った。
加藤清正や小西行長などの武将に率いられた秀吉の軍勢は、
たちまち首都の漢城(現在のソウル)を落とし、朝鮮北部にまで進んだ。

しかし、朝鮮の李舜臣が率いる
水軍の活躍、民衆の抵抗、明の朝鮮への援軍などで、
不利な戦いとなり、明との和平交渉のために兵を引いた(文禄の役)。

しかし、明との交渉はととのわず、
1597(慶長2)年、秀吉はふたたび14万の大軍を派遣した。
ところが、
今度は朝鮮南部から先に進むことができず、
翌年、秀吉が死去し、兵を引きあげた(慶長の役)。
2度にわたって行われた出兵により、朝鮮の国土や人々の生活は著しく荒廃した。
この出兵に、莫大な費用と兵力をついやした豊臣家の支配はゆらいだ。

 どこが問題かよくわからないが、あえて注文するなら、「朝鮮の李舜臣が率いる水軍の活躍」との文言の削除である。
 何故なら、世界一貧困な国である朝鮮にて、兵糧を現地調達しようとした秀吉の戦術が、自身を苦しめたのであって、李舜臣の水軍の活躍とは言いすぎと考えるからである。

李舜臣は実はあまり活躍してなかったのでは無いか?
 雑識雑考[うんちくを騙る(語るにあらず)]
慶長・文禄の役、李舜臣の活躍に阻まれ日本軍は苦戦したとあるが、李舜臣が得意なのは輸送船の不意打ちだけの様です。彼が守っていたのは朝鮮南海(東シナ海)周辺であり、釜山からソウルへの海上ルートを分断することで精一杯でした。李舜臣の主力とされる亀船は外洋ではまったく役立たずなので、朱印船などで使われていた外洋船を利用すれば無意味でした(しかし、不思議なことに日本がそのようなものを投入した形跡は無い。)

さらに日本から朝鮮半島への制海権はまったく握っていないのです。日本軍は釜山-対馬ルートは完全に掌握していました。李舜臣の活躍を見ても、日本からの兵の補充や秀吉の使者の行き来も捕虜の輸送も戦争中これらを妨害したと言う話は一切有りません。自分の管轄を守備するので手一杯なのです。

秀吉の元には情報が逐次送られ、命令も逐次送られていました。つまりまったく妨げになっていなかったと言う事です。

日本が一番苦しんだのは焦土戦術による兵糧の確保(秀吉の戦術の常として兵糧を現地で貨幣調達することが多い。しかし貨幣経済が無くとろくな農業生産技術が無い国から兵糧を得るのは無理です。これは秀吉側の調査不足です。)。そして明軍との衝突でしょね。しかし、予備兵力として名護屋城にいたと言われる約10万の兵はまったく送り込んでいません。
(省略)

以上、秀吉の時代をざっとまとめてみる。
(1)大航海時代、日本は、鉄砲が普及することで、日本を侵略しようとしたヨーロッパ勢よりも軍事力が圧倒し、結果、侵略の抑止力となり平和を勝ち取った。
(2)キリスト教との両輪で日本やシナを侵略しようとしたことに秀吉はいち早く気付き、バテレン追放令などの措置をとった。
(3)太閤検地により農民は土地所有権を認め、土地を所有する大名へ年貢を納める仕組みを構築した。
(4)刀狩により、農民などから武器を没収し、治安維持は大名や武士の役割とする体制にしたことで、農民は耕作に専念することになり、安定した社会秩序がつくられた。
(5)朝鮮出兵は、最貧困国の半島が欲しかったのではなく、秀吉が、スペインの明征服の動きを事前に察知し、その前に自ら明を征服することを企てたとする説あり。

 その後、約260年もの間平和となった江戸時代は、徳川の功績だけではなく、上述したような秀吉による基礎があったからこそ可能となったと言えると考える。この平和も、またもや外国勢力(ペリーによる黒船来航など)によって脅かされることとなる。この黒船来航に関しては、別途述べたい。

 ここで、秀吉が征服しようとした明が中国史ではどのように位置づけられているのかを追記させて頂く。歴史を紐解くと、シナ大陸を支配した民族が、漢民族だった今の中国や明王朝のような時代と、例えばモンゴル族や女真族(満州族)などの異民族だった「元」や「清」のような時代があった。
 今の中国を見れば納得できるかもしれないが、奇妙なことにシナ大陸では、漢民族が支配すると暗黒時代となり、逆に異民族によって支配された方が幸せな時代を送れるようである。明の暗黒時代は、その最たるものであった。
 
・歴代の征服王朝が教える中国人の制御法
 驕れる中国 悪夢の履歴書
(省略)
 漢民族がいちばん幸せだったのは、じつは清の時代であろう。いちばん不幸な時代は、明の時代である。
 明朝は実際は「大明」と称していたが、なぜ「大」をつけたかというと、モンゴル人が中国を支配した時代に「大元」といっていたのを真似したのである。大元以前に「大」のつく王朝はない。どの王朝もそのような抽象的な言葉は使わず、皇帝より賜った地方の名前を使うのが普通である。唐も漢も、もとはといえば地域政権の名前をつけたものである。元になってから、古典などから素晴らしい言葉を引いてきて国号に当てるようになり「元」や「明」が登場したのだ。
 いずれにせよ、中国史上最悪の暗黒時代が明である。官廷内では廷臣たち、文武百官にいたるまでが、言葉遣いを誤るなどして皇帝の逆鱗に触れただけで杖刑。棒で肉体を打つこの刑罰で死んでしまう者はかなりの数に上った。この暗黒時代を支配した王朝が「大明」を自称したというのも皮肉な話である。
 そのあと清の時代になると、中国は歴代王朝のなかでも、もっとも幸せな時代になった。康熙、雍正、乾隆帝の約140年間で人口が10倍以上に増えた。そしてはじめて人頭税が減免になった。税金をとらず、経済、政治面で汚職なども少なくなって、社会も安定した。
(省略)

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【参考書籍】
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4 - 読みやすい武士道
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5 - 今こそ取り戻すべき精神文化

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小学館 [著] 三浦 朱門
ASIN:4093875847 /単行本/239頁
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ランキング&評価:---位 3.88
価格:¥ 1,260 [2006-06-16 Amache]
4 - 知らない人物多数
5 - まず、自分の眼で確認しなければ
5 - 扶桑社効果?
5 - 教科書問題は単独の問題ではありません
1 - 疑問を持つこと自体が疑問

新しい歴史教科書―市販本
扶桑社 [著] 藤岡 信勝
ASIN:4594050093 /単行本/238頁
発売日:2005-08
ランキング&評価:---位 4.07
価格:¥ 1,200 [2006-06-16 Amache]
5 - 近代的歴史学に沿った注目の書で、「○○史観」という穿った見方ではない
5 - 1/3が明治以降なのには驚いた
5 - 何故批判する?
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驕れる中国 悪夢の履歴書
福昌堂 [著] 黄 文雄
ASIN:4892247936 /単行本/287頁
発売日:2005-10
ランキング&評価:---位 5.0
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