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2005年08月25日 (木)

終戦日前後のソ連のどさくさの軍事行動を忘れてはいけない

 私は、共産主義が嫌いなので、今まで述べてこなかったかもしれないが、中国や日共だけではなくロシアも嫌いである。従って、以下のような軍事演習に関する記事を読むと不愉快になる。

中国・ロシア:米国の一極支配を警戒--きょうから軍事演習
 【北京・飯田和郎、モスクワ杉尾直哉】「平和の使命2005」と名付けられた中国とロシアの初めての合同軍事演習が18日から25日までの8日間、ロシア極東のウラジオストク周辺や中国・山東半島沿岸、黄海地域などで実施される。両国の陸海空軍計1万人が参加する大規模な実戦演習。日米同盟強化や台湾海峡をにらんだ思惑も取りざたされている。

 ◇「台湾有事」想定か

 山東半島南部、黄海に面した山東省膠南市。ここが中露軍事演習の「前線基地」だ。ウラジオストクの基地を出たロシア海軍太平洋艦隊の艦艇は膠南沖に到着。膠南と高速道路で結ばれた〓坊市には中露両軍兵士が集結している。

 演習は2段階。18日からウラジオストク・ロシア極東軍管区での指揮所演習を行い、その後、中国での実戦演習に移る。中国側の1部隊がテロ集団など「敵部隊」の役となり、中露両軍が撃退するシナリオとされる。

 ロシア側の発表によると参加1万人のうちロシア軍は約1800人。太平洋艦隊や空てい部隊のほか、空軍からスホイ27戦闘機や戦略爆撃機のツポレフ22M3など17機が加わる。一方、北京の軍事筋の情報や香港紙報道によると、中国海軍の主軸は青島に司令部を置く北海艦隊。山東省を管轄下に置く済南軍区と、東北部を管轄する瀋陽軍区の部隊も加わる。

(省略)

 ◇武器取引の思惑も

 武器売却に絡んだ思惑も見え隠れする。中国は毎年、約20億ドル(2200億円)の兵器をロシアから購入している。ツポレフ22M3は90年代から中国が購入を強く要望してきた超音速・長航続距離(4000キロ)の爆撃機だ。

 米統合参謀本部のハム陸軍准将は「太平洋軍(司令部・ハワイ)は(演習に)注意を払い、できる限りモニターする」と述べ、演習期間中、高度の監視体制を敷く方針を明言している。

毎日新聞 2005年8月18日 東京朝刊

米潜水艦、中露合同演習を密接追跡
 【大紀元日本8月24日】
china-sensya.jpg
中ロ合同演習

 ロシアの記事を読むと何故か1年ほど前に読んだ記事の記憶が蘇る。その内容を以下にご紹介する。読んで頂ければ、私が不愉快になる理由がご理解できると思う。

地球史探訪:終戦後の日ソ激戦
 Japan On the Globe(203) 国際派日本人養成講座 H13.08.19
北海道北部を我が物にしようというスターリンの野望に樺太、千島の日本軍が立ちふさがった。
■1.北海道北半分をソ連に■

 1946(昭和21)年8月16日、終戦の日の翌日、スターリンは米大統領トルーマンに対して、釧路市と留萌市を結ぶ線以北の北海道の北半分に対して、ソ連側の占領を認めるよう要求を送った。

 同年2月11日に、米英ソの指導者が結んだヤルタ協定では、樺太の南半分と千島列島がソ連に引き渡されるよう決められていたが、これをさらに北海道北半分にまで拡げよというのがスターリンの新たな要求だった。樺太、千島列島、北海道北半分をソ連圏内に収めてしまえば、オホーツク海はソ連の内海となり、太平洋への出口も自由になる。

 このスターリンの野望により、終戦後も激しい日ソ間の戦いが樺太と千島で展開されることになった。

■2.樺太国境での激戦■

 終戦の日のわずか1週間前のモスクワ時間8月8日午後11時、ソ連は佐藤駐ソ大使に対して宣戦布告文を手渡し、その一時間後に攻撃を開始した。翌46年4月まで有効であった日本との中立条約を一方的に破棄し、さらにソ連に和平仲介を依頼していた日本政府に対して、宣戦が布告されたのである。樺太でも早速9日朝から、国境線を超えてソ連軍の散発的な砲撃と、小部隊の越境偵察が始まった。

 樺太はもともと日露混住の地であったが、明治8(1875)年の樺太・千島交換条約により、樺太はすべてロシア領、千島列島はすべてが日本領となった。明治38(1905)年の日露戦争の勝利の結果、北緯50度以南の南樺太が日本に割譲された[a]。南樺太の面積は四国の約2倍にあたり、終戦時の人口は季節労働者を含めて約40万人であった。

 南樺太への本格的な侵攻は10日から始まった。戦車95両、航空機100機を持つ第56狙撃軍団が、国境近くの小集落・半田を攻撃し始めた。ここでは陸軍2個小隊と国境警察隊の約100名の兵力が防戦し、大半が戦死したが、ソ連軍主力を一昼夜にわたって食い止めて、ソ連軍には大きな衝撃を、日本全軍には異様な感激を与えた。

 半田を落とした後、ソ連軍は国境から10キロほどの日本軍の主防御地帯への攻撃を開始したが、日本の歩兵第125連隊約3千人が森林や山岳を利用した永久陣地にこもって頑強な抵抗を示し、ソ連軍に足踏み状態を続けさせた。その間に老幼婦女子を列車で南に避難させ、なおかつ主要な鉄橋を次々と爆破して、自らの全滅を賭してもソ連軍南下を防ごうとした。

 15日正午、ポツダム宣言受諾に伴い、天皇の終戦に関する「玉音放送」が行われた。国境沿いで戦闘中のため連絡のとれない第125連隊にも、18日にようやく戦闘停止の師団命令が伝達され、連隊は武器をソ連軍に引き渡した。これまでの戦闘による被害は日本側死者568名、ソ連側死者約1千名、戦車数十両破壊と推定されている。

 日本側は邦人保護のため、ソ連軍に現地で留まるよう要請したが、ソ連側は傲然と拒否して、南下を続けた。

■3.8月18日、ソ連軍、占守島強襲上陸■
 
 日本のポツダム宣言受諾が確認された15日、アメリカは即座に全軍に戦闘停止命令を発したが、極東ソ連軍総司令官ワシレフスキー元帥は、樺太南西岸の真岡、および、千島列島北部の占領を命令した。樺太ではまだ国境を越えたばかりであり、千島には足も踏み入れない状態では、停戦後の占領は不確実である。さらに継戦の必要があった。

 千島列島北端の占守(しむしゅ)島には、第91師団を中心に、約2万5千が防備に当たっていた。カムチャッカ半島南端とはわずか10キロ余の海峡をはさみ、ソ連極東から太平洋への出口を扼する戦略拠点であった。

 ソ連軍は上陸用舟艇16隻など、計54隻の艦船、総人員8千3百余名で、18日午前2時に占守島北端の国端岬に急襲上陸を図った。まだ薄暗く霧深かったが、霧中射撃の訓練も十分に積んでいた海岸配備部隊は、即座に敵を発見し、野砲、速射砲などで猛烈かつ正確な砲火を浴びせた。

 撃破された船艇は確認されただけで13隻以上に達し、3千人以上のソ連軍将兵が海中に投げ出され、死傷者が続出した。しかしこの混乱の中をソ連軍将兵は泳いで上陸し、反撃を試みた。この後、島北端の四峰山を巡って、激しい攻防が繰り返された。

■4.ソ連の悲しみの日■

 堤第91師団長は、優勢な師団主力を占守島北部に集中して、一挙にソ連軍を水際に撃滅するという決心をし、準備を始めた。しかし、それを知った方面軍参謀長から、18日16時までに戦闘行動停止の命令が来た。日本軍は軍使の長島大尉一行をソ連軍に送ったが、射撃されて死傷者続出し、長島大尉も単身敵中に潜入して行方が分からなくなった。日本側が反撃行動を停止しても、ソ連軍は攻撃を続行してきた。

 19日朝、再度の軍使が送られ、午後正式な停戦交渉が始まった。何度かいざこざがあった後、21日に正式な降伏文書の調印が行われた。一日で占守島全島を占領し、急いで千島列島を南下しようというソ連軍の計画は、日本軍の抵抗により大きく狂ってしまった。

 ソ連側の記録によると、日本軍の死傷者は1,018名、ソ連側は1,567名であった。イズヴェスチャ紙は「占守島の戦いは、満州、朝鮮における戦闘よりはるかに損害は甚大であった。8月19日はソ連の悲しみの日である」と述べてた。激戦の行われた四峰山では、戦後、戦没者の記念碑が建てられた。

■5.真岡への侵攻■

 北千島と共にワシレフスキー元帥が占領を命じた真岡は、樺太の南西岸にあり、3千トン級の船舶数隻を同時接岸できる港をもっているため、ソ連軍は真岡を北海道上陸作戦のための使用兵力を大陸から送り込むための中継基地として考えていた。

 真岡はもともと人口2万の町であったが、16日夕から本土への引き揚げが開始され、19日夕刻までに6千人が出航していたが、乗船を待つ避難民がまだ1万5千~8千人いた。

 真岡への攻撃は20日早朝に始まった。数隻の大型軍艦が町中に艦砲射撃を行い、その後、上陸したソ連兵は山へ逃がれる人々を背後から機関銃や自動小銃で掃射し、手榴弾を投げつけた。引き揚げ船へ向かう女子供たちの上にも、容赦なく砲弾が降り注いだ。厚生省資料ではこの時の民間人犠牲者は約千名としている。

■6.さようなら、これが最後です。■

 この時の悲話の一つとして伝えられているのが、真岡電話局に残って、通信維持の使命に殉じた9人の乙女たちである。9人は引き揚げの指示を断って、ソ連軍の砲撃開始後一時間半に渡って、市街の惨状を報告し続けた。今も詩吟「氷雪の門」で伝えられる最後の放送は次のようであった。

 内地の皆さん、稚内電話局のお友だちに申し上げます。只今ソ連軍がわが真岡電話局に侵入いたしました。これが樺太から日本に送る最後の通話となるでありましょう。私たち9人は最後まで、この交換台を守りました。そして間もなく、9人そろってあの世に旅立ちます。

 ソ連軍が近づいております。足音が近づいております。稚内の皆さん、さようなら、これが最後です。内地の皆さん、さようなら、さようなら、、、

 9人の乙女は青酸カリを飲んで自決した。戦後建てられた稚内市の「乙女の碑」を昭和43年に訪れられた昭和天皇と香淳皇后は深く頭を垂れて、冥福を祈られ、次の御製、お歌を残された。

樺太に命をすてしをたやめの心を思えばむねせまりくる

からふとに露と消えたる乙女らの御霊安かれとただいのるぬる

■7.真岡近郊での戦闘■

 真岡に付近にいた配属部隊は、すでに16日に終戦に関する師団命令を受けて、真岡市から東方2キロの荒貝沢に移り、一部の兵の召集解除を始めていた所であった。残っていた人数は3~4百名程度と推定される。

 ソ連軍の急襲に、仲川大隊長は即座に17名の軍使一行を派遣したが、一行は荒貝沢の出口付近でソ連兵に制止せられ、指示に従って、武器を地上に置いた所を、突然自動小銃で乱射され、ほとんど全員が射殺された。

 21日朝から、ソ連軍は荒貝沢に接近して、戦闘が始まった。荒貝沢は真岡から樺太最大の町豊原への途上にある。その豊原は、樺太南部の交通の要路であり、避難民でごった返していた。豊原に向かうソ連兵を一刻でも長く引きつけておくために、日本軍将兵等は全滅覚悟で戦かった。

 近くからの応援も得て、日本軍は23日2時頃まで抵抗を続けた。その間、ソ連軍は航空機による豊原攻撃を行った。豊原駅前広場には避難民数千人が集まっており、駅には大白旗を掲げ、救急所の天幕には赤十字が明示してあるにもかかわらず、爆弾5,6発、焼夷弾約20発の攻撃を受け、駅前の避難民に100人以上の死者が出た。

■8.スターリン、北海道侵攻を断念■

 トルーマンからは北海道北部のソ連占領を認めないという返事が18日に届いたが、スターリンはすぐには応えず、ワシレフスキー元帥は、8月25日までに樺太全島と千島列島の北部諸島、9月1日までには千島列島の南部諸島と北海道北半分を占領するよう命令を出した。

 占守島への強襲上陸が始まったのが18日早暁、真岡侵攻が20日早朝と、ソ連軍はトルーマンの回答を無視して、8月28日に予定されていた降伏文書正式調印(実際には9月2日に延期された)までに、北海道北部占領を既成事実化してしまう事を狙っていた。

 22日には、ソ連軍が上陸を予定していた留萌沖で、樺太からの引き揚げ民を満載した日本船3隻を潜水艦で攻撃した。うち2隻は雷撃により沈没。1隻は海軍の特設砲艦で、雷撃により船尾を破壊されたが、浮上した潜水艦と砲撃を交わして、なんとか留萌港にたどり着いた。この攻撃により民間人約1700名の死者が出た。

 22日になって、ようやくスターリンはトルーマンあてに北海道占領を断念する旨の回答を送り、ワシレフスキー元帥は「連合国との間に紛争や誤解が生じるのを避けるために、北海道方面に一切の艦艇、飛行機を派遣することを絶対的に禁止する」という電報を打った。

 22日は、千島列島北端の占守島の日本軍との間で降伏文書の調印が行われた翌日で、それ以南の諸島はほとんどが手つかずの状態であり、また樺太では真岡近郊での戦闘の最中であった。日本軍の頑強な抵抗により、ソ連としては樺太と千島列島の占領を優先するためには、もはや北海道をあきらめざるをえない状況に追い込まれたのである。

■9.樺太、千島の占領完了■

 24日早朝、アリモフ少将が戦車隊を従えて、豊原に到着し、日本軍の施設をすべて接収し、樺太庁の行政も停止させた。これにて樺太の占領は完了した。

 千島列島に関しては、24日以降、順次、日本軍将校を同船させて小型艦艇数隻からなる偵察部隊が南下し、各島で日本軍の降伏を受け入れながら占領を続けていった。

 択捉、国後については、当初は「アメリカ軍がやってくるはずだから我々は手をつけずにかえるのだ」と言って、上陸しなかった。この二島はかつてロシア領になった事はなく、日本固有の領土であった。したがって、ヤルタ協定でソ連に「手渡される」ことになっていた千島列島にこの2島が入っておらず、日本本土の一部として、アメリカ軍の占領地域に入っていたと解釈されても不思議はなかった。

 しかし、アメリカ軍が来ていないと知ると、ソ連軍は8月28日に択捉島に、9月1日に国後島に上陸した。さらに千島列島に含まれず北海道根室半島の延長である歯舞諸島、色丹島にも、ソ連軍はそれぞれ9月1日、4日に占領した。歯舞諸島占領が行われた9月4日は、降伏文書正式調印の二日後である。

■10.終戦後の戦死者と民間人犠牲者■

 樺太および、千島の戦いでは、日本軍将兵約3千名、民間人約3700名の命が奪われた。このほとんどが8月15日の終戦以降のソ連軍侵攻によるものである。さらに捕虜にされた樺太約1万8千名、千島約5万名の日本軍将兵は本土に帰ると騙されて、シベリアなどに送られた。 スターリンは14日の時点では捕虜のソ連領移送は行わないと言っていたのだが、北海道占領を断念したとトルーマンに回答した21日の翌日、日本軍捕虜50万人のシベリア移送の極秘命令を出している。ロシアの研究者の多くが、これは北海道占領断念の代償だったとしている。

 もし、樺太、千島での日本軍の頑強な抵抗がなければ、北海道北部はソ連に占領されていた可能性がある。そうであれば満州や樺太で起きた民間人虐殺が北海道でも繰り返されただろう。そして、北海道北部は北朝鮮や東ドイツのように共産主義独裁政権が支配していたであろう。樺太と千島の防衛に一命を捧げた日本軍将兵3700人と、その後のシベリア抑留に苦しんだ約7万の将兵に心からの追悼と感謝を意を捧げたい。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(181) 北方領土交渉小史~スターリンの「負の遺産」
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
1. 中山隆志、「1945年夏 最後の日ソ戦」★★、国書刊行会、H7
2. 原田実、「風化する北の『ひめゆり』」、正論、H11.9

 ロシアが数々の裏切り行為をしてきたことを我々は忘れてはいけない。また、ロシアの行動も注意深く監視すべきだと思う。意外とロシアの軍事演習の回数が多く、その中には、例えば、以下のような同盟国であったはずの韓国が、警戒すべき仮想敵国のロシアと手を組む裏切り行為もあった。この事を知った時は、かなり衝撃的であった。

ロシアが北朝鮮と演習へ 太平洋艦隊、韓国とも
 倉田佳典 10/10-19:38
記事番号1475へのコメント
10/09 19:31 ロシアが北朝鮮と演習へ 太平洋艦隊、韓国とも  外信70

 【モスクワ9日共同】訪日中のフョードロフ・ロシア太平洋艦隊司令官は九日、東京でタス通信に対し、十一月に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の海軍と合同演習を実施することを明らかにした。                             
 演習の内容は不明だが、モスクワの軍事筋は「ロシアと北朝鮮の合同軍事演習はソ連崩壊後初めて」としている。        
 司令官はまた、十一月に韓国とも合同演習を実施することを明らかにした。                         
 演習の力点はロシアが南北関係改善の仲介役として北朝鮮、韓国との良好な関係を示すことにあり、ロシアの軍事プレゼンスを誇示する意味合いは薄いとみられる。               
 軍事協力条項を含むロシアと北朝鮮の友好協力相互援助条約は一九九六年に失効、以来ロシアは北朝鮮との軍事面の協力に消極的だった。しかしプーチン政権は最近になって、対日、対米カードとしての北朝鮮関係を重視。八月には三年連続の首脳会談に応じ、経済関係の強化などで一致した。                 
 海上自衛隊によると、フョードロフ司令官は米国や中国など計二十一カ国でつくる西太平洋海軍シンポジウムなどに参加するため訪日している。                        
(了)  021009 1930[2002-10-09-19:31]

 その時の感想は、たしか「ついに下記ジョークのオチが実現するかもしれませんね。」だったと思う。

タイムマシーン
繰り返される韓国での見慣れた光景、即ち反日デモを韓国人のK氏はテレビで見ていた。
「日帝(日本帝国主義)36年の謝罪と賠償を!」
横断幕が掲げられ、韓国人達が絶叫しながら日本大使館を取り巻いていた。
K氏は恐らくこれが最後の反日デモとなることを確信していた。
愛国心の固まりであるK氏は、過去の歴史を変革するべく極秘にタイムマシーンを開発していたのだ。
今日、彼はそのタイムマシーンを使い過去に向かい、何としても日帝による朝鮮併合を阻止することを考えていた。
そして、K氏は艱難辛苦の末、ついに日帝による朝鮮併合を阻止することに成功し現代に帰ってきた。
テレビを付ければそこには日帝の支配のない素晴らしい祖国が待っているのは間違いない。K氏は確信していた。
テレビを付けると不思議なことにまたデモをやっているようだった。
歴史は変わらなかったのか?不安になるK氏だったが、よく見ると様子がおかしい。
テレビで見慣れた日本大使館ではなく、そこはどうやらロシア大使館のようだった。
さらに横断幕に書かれた文字を見ると・・・。

「露帝(ロシア帝国主義)36年の謝罪と賠償を!」

 今考えてみると、韓国は、あの当時も既に北にオペレーションされていたという実感が湧くが、一方で、半島はロシアに併合された方が良いのか悪いかの結論が自分なりに導き出せないでいる。

 さて、最近、ロシアの潜水艇が敵国に救助を求めるような醜態を見せたようだが、自衛隊には油断しないで引き続き監視して頂きたい。長期的な視野で見ると歴史は繰り返すと言うことで、ロシアの南進の可能性は非常に高いと思うからだ。
 
事故のロシア潜水艇、救助に成功
 それでも地球は回る
tekikokuni-kyujo-irai.jpgカムチャツカ半島の南で海底200メートルの深度を航行中、密猟者の網に引っかかって救助を求めていたロシアの潜水艇「AS─28」が、4日に発生した事故から3日ぶりに救助された。
乗組員7人は全員無事だそうだ。

今回、ロシアはアメリカ、イギリス、日本などに援助を要請。潜水艇内の酸素残量が1日だとか5日分だとかと不確実な情報が流れる中、アメリカとイギリスは救助用潜水艇を空輸して作業に当たり、迅速な対応を見せた。
そしてイギリスの無人潜水艇「スコーピオン」がワイヤーをカットすることに成功し、AS─28は自力浮上した。

【関連記事】(歴史順)
・(H17/7/03)人種差別国家韓国とそれと無縁の日本
・(H17/7/05)我々が東京裁判の不当な扱いを払拭しなければ戦後は終わらない
・(H17/8/26)終戦日前後のソ連のどさくさの軍事行動を忘れてはいけない
・(H17/7/04)不当な東京裁判史観を払拭せよ
・(H17/7/11)戦前に比べて外交能力が圧倒的に落ちた原因とは?
・(H17/7/09)中国残留孤児の不当な主張の棄却は当然…だが戦いはまだ続く
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・(H17/9/18)迷走する極東アジア

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