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2006年01月21日 (土)

朝鮮総督府

・朝鮮総督府
 AYLI ~As You Like It - 日本が寄生虫に…

朝鮮総督府



総督府はどのような政治を半島に行ったのか





こんてんつ





はじめに


本当は書く必要は無いような気がします。前章「日韓併合前夜」を読んで頂いた方には、総督府がどのような非人道的な政治をしようとも、いくらなんでも李朝末期よりはひどくならないだろう。…いえ、全くその通りで、あれより酷い社会は…今の北朝鮮以外に想像できる方はメール下さい。もし、朝鮮人に「日帝36年を謝罪しろ!!」と言われたら「李朝より酷い政治だったの?」で返せば万事オッケーな気もします*1。いっそこのまま終わってもいいのですが、ボリューム的にあまりにも寂しいので朝鮮総督府が行った政策を書いていきますね。謝罪・抗議どころか、朝鮮人には最上級の感謝を頂いても遠慮はしないぜっ!て思われる、真実の日帝36年を皆様にお届けします。


日韓併合(1910)から朝鮮総督府*3による統治が始まりました。この章ではこの総督府が行った政策を定量的に示すと共に、どのようなお金の流れがあったのかを説明することにします。朝鮮から責められている点で、この時代に行われたと言われる、「創氏改名」「朝鮮語禁止」「飢餓輸出」についても無罪を主張します。「強制連行」「従軍慰安婦」の嘘っぱちは大東亜(太平洋)戦争に関わるので、次章で扱います。


*1実際、日韓併合によって被害を被ったのは、それまで特権階級にいた両班勢力ですね。これは北朝鮮の金正日体制が崩壊するのを現在の特権階級が嫌がるのと同じです。現在、全ての朝鮮人が両班の子孫を自称しているから(笑)、特権を奪われた両班として日本人に抗議しているのかしら?少なくとも在日のほとんどは両班ではないはずだけど(笑)




かの国の特権階級と言われている両班でさえこの姿
  ↓





総督府の政策


総督府の政策はあまりに数が多すぎて全部網羅するのは無理かもしれませんが、調べて分かる範囲で書いていこうと思います。追加・訂正は大歓迎。



朝鮮総督府政策一覧

項目

併合時(1910)

終戦時(1945)

教育の普及わからんが土民状態だったと思う小学校5,213校、生徒数2,389,135人、就学率61%(1944)
耕地面積246万町歩449万町歩
水田面積84万町歩162万町歩(1928)
石高(米の生産量)約1千万石2千万石(1930)
日本への米輸出11万石760万石(1928)
鉄道日韓暫定合同条款に基づいた日本の鉄道敷設権取得(1894)を機に増え始めた3,827km
人口1313万人2512万人(1944)
植林 禿山30年間で5億9千万本

李朝時代には統計を取るなんてコト自体、朝鮮人の思考にありませんから、どうしても併合時の数字が分からないものが多い。就学率どころか文盲率が90%くらいだったんじゃないか?マジで。さておき、これが朝鮮人のいう史上最悪の植民地支配の正体*1である。彼らは一体どこの世界・どこの歴史の植民地政策と比べて「史上最悪」という結論を導き出したのであろう?


同時期のフィリピン(アメリカ領)の就学率が35%だから比較すれば一目瞭然だろう。それに日本は朝鮮にも台湾にもナンバースクール(帝国大学:今の国立一期校)*2を作っている。イギリスがインドにケンブリッジの姉妹校を作るようなものである。土民に帝国大学は厳しすぎたって批判なのか?それとも、朝鮮人の今の学歴社会の原型を作ったと責められているのか?(笑)


植林、河川・砂防工事、ダム建設を通して水利事業を行った土地は反当たり収量は0.49石から1.49石へと3倍に増え、これだけでも202万石の増収。


人口推移の推移(単位万人)を辿ると…




西暦19101915192019251930193519401944
人口13131596196218541969212522952512

まぁ、李朝期には全く増えない人口が併合するといきなり倍になってる。この数字を見るだけで人口増加を養える食料の増産はもちろん、医療、衛生面の進歩が著しいことは容易に想像できる。実際、乳幼児死亡率も激減している。朝鮮人を増やしたことで世界中の人にお詫びをするならまだしも、朝鮮人に謝罪する謂れはない。


こんな資料は、別に捏造もしていないし、いっぱいある。資料なんぞなくても開国時の外国人の見聞録と終戦時の様子を比べるだけで一目瞭然だろう。総督府時代に何があったのか。搾取・収奪を行って人口が倍に増えるかってんだい。


さて、お金の話です。日本は朝鮮に対してどれくらい金を突っ込んで、どれくらい儲けたのか。結論から言えば、color=#ff0000>大赤字でした。



黄文雄「歪められた朝鮮総督府」光文社

宇垣総督時代の総督府予算は昭和5年で、約2億円の規模であった。それに対し、朝鮮内部の税収は5千万円程度。日本の政府予算(すなわち日本国民の税金)から、毎年千数百万円から2千万円の規模の補填がなされた。この予算獲得のため、総督府の関係者が帝国議会や大蔵省の説得に奔走したというから、官僚の世界は今も昔 も変わりない。それでも足りない分は、日本の金融市場から集めた公債によってまかなわれた。p142


ちなみに大英帝国支配下のインドでは、その予算の1/3を国防費の名目で、イギリスに納めていた。それにも関わらず、第2次大戦で徴集した264万人のインド兵の費用は、イギリス人将校の給料も含めて、インド自身に負担させていたという。p179


台湾は1895年に日本統治が始まって1905年以降、台日本政府からの補助金を受けずに財政的に独立することができてたから、たったの10年だわなぁ。


朝鮮は補填なしの年が1回あって…それ以外はずっと本土におんぶ抱っこ状態。当然この補填は内地の日本人の血税だわ。つまり、搾取されていたのは日本人の血税なんだわな。これが。世界の植民地を見渡しても、宗主国がここまで植民地につぎ込む例はない。一体何を解釈したら史上最悪な植民地支配という…以下略。単純に2千万が10年で2億-日清戦争の戦費だわ。36年あったら朝鮮への補填だけで日清戦争が3回やれる。はぁ、すげー負担だわ。戦艦大和が何隻建造できるんだ?朝鮮がなかったら、大東亜戦争ももう少し楽だったのに。


ちなみに朝鮮の他力本願・おんぶだっこ・借金体質は戦後も変わっていない。南は借金して輸出する拡大型自転車操業*3&日本の経済援助・技術援助だのみだし、北は米くれ金くれ重油くれ…くれなきゃミサイル撃つぞ、核持つぞ、麻薬持ち込むぞって、論外な国だしな。


翻って台湾は中国との絡みでまともな国として認めてもらえないから国交が制限されたりしながら(当然韓国のように日本の援助なんかもらえない)も、着実に付加価値のある製品を作り出し、黒字を稼いで外貨準備高で世界3位


うむ、やはりヘタレ国家とは違う。日本統治時代を見てるだけで、戦後の動きが納得できるよ。それに台湾ならあげようって言っても援助なんか断るね。日本人のプライドがあるから。


*1朝鮮がどうしても植民地でいたいなら仕方ないけど、一応、併合なんで植民地ではありません。


*2昔は一高、二高…と数字が付いていたためナンバースクールと呼ばれた。ちなみに一高は現在の東大。


*3借金して生産し、輸出して借金を返す。この体制はいいときは成長も早いが、何かあると破綻する。実際、最近韓国は国家破産し、IMF統治下におかれ、9割以上日本の金を含む世界からの援助でやっています。






アノ国からのイチャモン


さて、アノ国からのイチャモンのコーナーです。反論しても聞く耳持たないで喚くだけのヤツ相手に頭使うのも勿体無いんですが、人間の証明ってことで頭使ってみました。




創氏改名を強制することによって朝鮮人から名前を奪った!
答:在日はなんで通名を使っているの?

これだけで十分です。通名とは現在の在日が使う「日本風な名前」です。現実に自発的に日本名を使ってる朝鮮人がたくさんいるのに強制とはちょっと信じられませんな(笑)


まじめに反論すると、日本に朝鮮が編入された時点で戸籍を作る必要に迫られましたが、朝鮮の姓は結婚しても変わらない。一家の中に金さん朴さん季さんが同居している状態でした。戸籍管理上これでは面倒なので、一家に一つの「氏」を創ってもらうことにしました。これが創氏です。自分で新たに届けてもいいし、届けなかった場合は家長の姓がそのまま氏になりました。しかし、戸籍には従来の姓も併記してあり、なんの心配もありません。それはともかく、朝鮮人の半数は奴婢階級で姓がなかったのですが…姓もなかったのに文句垂れてる朝鮮人が半分いるってコトですね(笑)


改名は任意*1であって強制されたというのは嘘っぱち。今でいう通名と同じです。今、誰も強制していない日本名を自ら使っている朝鮮人を見て、まだこの嘘に騙される人はいないと思いますが、騙されていた人は反省して謝罪してください。賠償はしなくていいです。


朝鮮人は旧宗主国である中国人にバカにされていました。まぁ仕方ないんですが。今や中国に戦争で勝った日本人の一員になったというのに、名前で朝鮮人だとばれてしまいます。朝鮮人たちは日本風の名前を使いたくて総督府にお願いしていたのです。そこでやさしい日本人は「日本名名乗ってもいいよん♪」って言っちゃったんですね。これが。内地では反対論もありました。現実問題として朝鮮人は犯罪率が高く、朝鮮人に日本名を名乗られると治安の維持という点からかなりの問題が予想されるからです。結果は予想通りでした。現在もそう*2ですね。あと、支那方面でも俺らは帝国臣民だ!と喚きことでだいぶ暴れたみたいです。現在でも外国で日本人の振りする朝鮮人がいます。悪いことしたら日本人のフリをしろ!朝鮮人特性が垣間見えるほほえましい行動ですね。


さらに言うなら、なんで今の朝鮮人の名前は「金」とか「季」とか中国風の姓なの?古代朝鮮では違ったような気がするんだけど…中国にも名前を奪われたのですか?中国には文句は言わないんですか?事実は、事大主義ですから中国に阿って自ら中国風の名前に変えたんですね。一時、モンゴル風の名前になっていた時期もありました(笑)日本風の名前を使うに至った経緯は歴史上の事実から推して知るべしでしょう。



ハングルを禁止して、日本語教育を強制した。言葉を奪った!!
答:ハングルを広めたのは総督府です。学校の課程が日本語のみになった時期が終戦前に少しほどありましたが、別にハングルを禁止してはいません。

朝鮮は事大主義でしたので漢字を使っていました歴史は中国の歴史、文学も漢詩とかを習います。これでわかりますね?あれだけ日本に文化を伝えたと威張るくせに、自前の歴史書・文学が圧倒的に少ない事実を。言葉も文化も徹底的に中国に事大してたからなんですね(笑)


とにかく、1443年に世宗王が「漢字はむつかしいさかい、アホや女子供でも使えるように簡単なヤツ作ったるわ」と作ったのが「訓民正音」です。しかし、そこは中華思想・儒教・事大に凝り固まる朝鮮、これを「諺文(おんもん)*3」と馬鹿にして呼び、排斥、軽蔑したまま500年近く経ってしまいました。ハングルと呼ばれるようになったのは19世紀。日本に併合されて、総督府がこの「ハングル」を掘り起こし、学校で教えるようになったのです。奪うも何もテメーらがほったらかしにしてたんじゃん。



朝鮮人は、自分に固有のハングル文字を軽蔑して、中国文字である漢字のみをただひたすら尊重するおかしな国民である。政府の公文書はもちろん、普通の手紙にも、会話の間にも努めて中国文を模倣して使用し国粋というべき語学上もっとも発達したハングルは婦人と子供と、下層階級が使用するものときめ込んでいる。「朝鮮とその隣邦」 イザベラ・ビショップ 1897年

ハングルが全国民に教えられるようになったのは、日帝時代になってからのことである。韓日併合の翌年の1911(明治44)年から、総督府によって朝鮮教育令が施行され、初、中、高等学校で朝鮮人、日本人の生徒の区別なく、ハングルを必修科目とすることに決められた。もちろん、朝鮮教育令は朝鮮人を、忠良な日本国民に仕立てることを目的としていた。私が日帝時代に小学校へ通っていた時は、朝鮮語がよくできる日本人教師は、月2円の加俸があった。当時の1円は今日の日本円の数万円に相当しただろう。もっとも、昭和10年代に入ってから「皇民化教育」が強められると、日本語が強調されて、ハングルが教えられなくなった。だがハングルをはじめて韓国民に教えた総督府の功績も、忘れてはならない「韓国 堕落の2000年史」 崔基鎬 平成13年 詳伝社


つまり、もともとハングルなんか使っていない朝鮮からハングルを奪うことはできませんし、国民のほとんどが読み書きができなかった(そもそも庶民には学校がなかった)李朝時代を考えたら言葉を奪おうにも…自国の歴史をちゃんと認識していますか?と聞きたい。



日本は朝鮮の米を大量日本に持っていき飢餓輸出を行った。
答:だーかーらー、飢餓だと人口は増えないの。飢餓輸出は共産国の登録商標です。ソビエトでも2~3千万人ほど餓死してるでしょ?

あ、輸出もしていないのに飢餓に陥ってるところを知ってる。おまえらの祖国の北側半分だよ。飢餓輸出ならまだしも金が残るが…そうそう、日本はあれだけの戦争を欧米相手にしながらも、朝鮮も台湾も本土も今の北朝鮮のような状態にはしていません。OK?

 


国際大会などでJapanより後にくるように、日帝時代に朝鮮の英語表記をCoreaからKoreaに強制的に変えた。
答:頭平気?日本の一地方と化した朝鮮の、しかも英語表記まで…日本はそこまで暇じゃありません。

例えて言えば、北海道(Hokkaido)が日本(Japan)より先にくるから名前を変えさせるようなものです。ありえねぇ。それに北海道民が国際大会に出たらJapanを名乗るように、この時代に朝鮮人がもし出場してもJapanです。朝鮮の英語表記を変える必要は全くありません。少なくとも「朝鮮」として出場したことがある国際大会を挙げてもらいましょう(笑)

それよか気になるのは、もしホントならなんで戦後すぐに元にもどさなかったの?なんで今頃いうの?

もともと高麗(コリョ)から来ている表記で、英語だとKですがフランス語ではCだったりします。条約を結ぶ相手とかによって表記は変わってました。なんなら国際言語を英語からフランス語に変えさせればいいんじゃ?(笑)

どうしても気になるんだったら、国名をCoreaに戻すなり、AAAって国名に変えるなり勝手にしろよ。なんなら_Koreaとかスペースを頭につけとかすれば一番だぞ?とにかく日本を巻き込むんじゃねぇ。

ここには「儒教」の悪い側面が出ています。序列・順序を異常に気にするのです。大概の日本人は国際大会の入場行進がアルファベット順として、その順番を気にする人はいないでしょう。ところが朝鮮人は気にするのです。このメンタリティは李朝末期の国書受け取り拒否問題と同じです。今度は征韓論じゃなくて、朝鮮消滅をスローガンにするよ?マジで。

最近(去年の12月末)北朝鮮がこれを言い出して、南北で正しい表記に戻す会を作ろうみたいな呼びかけをしていて笑ったことがあります。

 

正直言ってうんざりです。たとえここまでのイチャモンいいがかりがすべて事実としても、この程度のことで史上最悪の植民地呼ばわりするなら、それをアフリカやアジアの本当に欧米に植民地支配されていた国々に言ってこい!鼻で笑われるからさ。

 

*1朝鮮名のまま出世した人もいることからも改名が任意であったのは明らかでしょう。陸軍中将の洪思翊と衆議院議員の朴春琴は有名。貴族院議員には1932年朴泳孝が任命されたのを始め、数人。公爵・伯爵・陸軍中将・国会議員を輩出している朝鮮人が奴隷状態?

*2現在は在日が犯罪を犯しても通名で報道されることが多いため、日本人は朝鮮人の犯罪にあまり気付かないようなシステムになっています。眉をひそめるような残虐な犯罪はほとんど彼らなんですが…金とか徳とか入ってる名前は特に注意してね!!

*3漢字漢文を真文と呼ぶのに対して、差別的な意味で諺文と呼ばれた。民族的な意識の高まりから「ハングル(偉大な)」と呼ばれるようになる。しかし元を辿れば…まぁ日本でいうカナみたいなものであまりバカにはしませんが…ちなみに北朝鮮ではチョソンクルと呼ばれるそうです。

参考リンク:ぢぢ様 玉稿集 大日本史 番外編 朝鮮の巻 資料 植民地統治の検証




総督府の評価


まとめましょう。



李朝時代は旱魃、水害が繰り返し発生し、飢饉が日常化していた。統監府以前の朝鮮社会は、司法行政の綱紀が乱れ、教育、衛生はほとんど顧みられず、河川、林野が荒廃し、道路、橋梁もなく、港湾も船も車もほとんどなかった時代であった。それから20年後の昭和初期に朝鮮を訪れたアメリカの碩学(せきがく)ブルンナー博士は、朝鮮農村の実状を視察して、地方の古老にも接して今昔を比較し、天と地ほどの差が見られることに驚嘆した朝鮮総督府は人さらい、草賊(盗賊)暗躍、飢民あふれる李朝末期の社会に、産業をおこし、治安を回復し、近代社会をつくったのであった。「歪められた朝鮮総督府」 黄文雄 1998年 光文社

「自分は昨夜来東洋における一つの驚異を発見した。それは、今回の長い旅行における大きい収穫であつた。同時に、自分の今日までの研究不足をしみじみと愧(は)ぢている。何であるかといへば、朝鮮に対する全般的な認識の相違である。吾々は、朝鮮といふ所は、地理的には大体満州の延長であるから、相変らず匪賊(盗賊)が横行し、産業も振るはず、赭土(あかつち)色の禿山の下で、民衆は懶惰(らんだ)の生活を送つてゐるものとばかり思つてゐた。然るに列車が一度鴨緑江の鉄橋を越ゆるや車窓に隠見する事々物々、皆吾々の予想に反し、見渡す山河は青々として繁茂し、農民は水田に出て、孜々(しし)として耕作に従事し平壌その他工業地帯の煙突は活発に煙を吐き、駅頭に散見する民衆は皆さつぽりした衣服を纏(まと)い、治安はよく維持せられていて何ら不安はなく、民衆は極めて秩序正しく行動し、且つその顔に憂色がなく、満州に比べて実に隔世の観がしたのである。これはとりもなほさず、貴国の植民政策が妥当であつて、歴代の総督が熱心に徳政を施された結果であることを卒直にお歓びすると同時に、今後における吾々の朝鮮観を根本より改めるであらう」昭和七年国際連盟のリットン調査団一行の一員、アメリカ代表マッコイ少将が宇垣総督に語った言葉


植民地経営ではないんだが…朝鮮人もそれを望んでいるようだから植民地でもいいんだけどさ。治安の確保や、産業、耕作地、人口を増やしたのは「より大きい利益を挙げるためだ」と牽強付会できないコトはないが、植民地の現地人と宗主国の人間が同じ学校の同じクラスに通うなんてのはありえない。まして、現地の言葉(ハングル)を母国人(日本人)も含めて必修科目にするなどは植民地経営には破天荒に変すぎる。もちろん、いい方に変なのだ。


戦争がなければ、ハングルも日本語も話せる朝鮮系日本人になっていたことは疑い得ない。


選挙権は当時、内地にだけあった。つまり、朝鮮人でも内地にいれば選挙権があり、朝鮮にいた場合は日本人と言えど選挙権はなかった。この選挙権の問題をもって差別だと言うのは簡単であろう。しかし、新しい領土にいきなり国政に関わる選挙権を渡すわけには行かない。土民も顔負けの生活水準で、毎年餓死の危険があり、文字も書けない人間になんの選挙権だ?日本の統治よろしく、民度も知性も十分に上がった暁には選挙権も与える予定であった。実際、終戦間近には朝鮮半島に普通選挙権が付与*2された。選挙自体は終戦もあって行われなかったが、日本は拡大過程において常にこのようにしてきた。北海道しかり、沖縄しかりである。


また、「権利がなかった」と大声で叫ぶが、それに対応して義務も免除していたのである。朝鮮の所得税が内地の所得税に比して低率*3に置かれていたこともそうだし、徴兵もそうだ。日本統治が始まっても徴兵は長期間行われず、大東亜戦争になって初めて行われた*4。選挙権の付与はこれに対応するものであったと思われる。帝国臣民としての資格を醸成する間は義務も免除するが権利も制限する。ただそれだけの話である。


ここまで読まれてなお、残虐な日帝支配を訴えられるなら、それはもはや何かの宗教としか思えません


*1上にも書いたが、内地(日本)では朝鮮人にも選挙権・被選挙権共にあったので、朴春琴は東京で2回も衆議院議員に当選している。


*2 1945年には選挙法が改正になり、次の選挙には朝鮮にも18人の定員が割り当てられたが、終戦で実現に至らなかった。


*3個人所得税が朝鮮に導入されたのは統治が始まってから24年後の1934年から。税率は内地の半分だった。これは段階的に引き上げられて内地との差は縮まったが、終戦まで内地より低率のままであった。その他、酒税等も内地より低率に設定されていた。しかし、日帝36年に搾取されたと言いながら所得税は11年くらいしか払っていなかったのか…初めて知った。所得税が少ないことが差別だというのなら謝ろう。


*4次の章で詳述することになると思うが、1938年から始まり、1943年まで年を追って増えているが、ここでは簡単に総計だけ。募集合計17664人(たったのこれだけ?)で志願者は802227人で倍率にして実に45倍の狭き門であった。日本が徴兵をしないから憧れの帝国軍人になれなかったじゃないか!と怒ってらっしゃるのならごめんなさい。


関連リンク:日本人への「差別」





Copyright (C) 2003 [組織名] AYLI


※引用文中の鉄道敷設権に関する文言と画像の付与及びリンク切れの修正を私が実施

【こんてんつ】
日韓併合前夜
事大主義の悲劇
李朝末期
2つの戦争
そして併合へ…
朝鮮総督府
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2006年01月06日 (金)

そして併合へ…

・そして併合へ…
 AYLI ~As You Like It - 日本が寄生虫に…

そして併合へ…

 


ここまでの朝鮮半島の様子を理解した上で、日韓併合への道を理解しましょう

 





こんてんつ





日韓の関係


日韓併合までには紆余曲折があります。実際、当時の朝鮮を併合して帝国臣民に組み入れると、朝鮮人を日本人と同じ経済レベルにまで引き上げなければならない義務が生じます。予想される負担の大きさを考えると、当時の日本にとってもかなりの重荷であり少なくとも積極的に半島を併合したいと考えていた人間は日本側の高官としては少なかったのです。


現在の例を挙げると、西側経済で3位の実力を誇る西ドイツが東側でも優等生と称される東ドイツと統合しただけでも、西ドイツの外貨は吹っ飛び、経済不振にあえぐようになってしまうのです。当時、列強に仲間入りしたばかりの経済力しか持たない日本が、世界の最貧国とも言えるような朝鮮を併合したのですからその負担の大きさは…


簡単に言えば、戦後最大の負債と不良債権を抱えて今にも倒産しそうな左前の会社(朝鮮)と現在業績が赤丸付き急上昇中の新進気鋭の成長株な優良会社(大日本帝国)があると考えてください。この不良債権会社が倒産すると、優良会社が連鎖的に経営危機に見舞われてしまうような関係だったのです。優良会社はあれこれ手を尽くして倒産しないように支えてみるのですが、どうにも不良債権会社の幹部は経営を知らないようです。倒産の日は刻一刻と近づいてきます。


ここで、あんなヤツらに経営させておくとこっちも危険だから、いっそのこと合併しちゃったらどうか?という意見が出るのも当然で、もちろんここでは優良会社が一方的に負担を強いられるのですから対等の合併はありえません。また、不良債権会社は今までのルール(経営方針と言った方がいいかな?)は使えなくなり、優良会社のルールを受け入れることになります。なぜなら、不良債権会社のルールで業績が悪化しているのですから、経営の上手な会社のルールを受け入れるのは理の当然でしょう。


実際は優良会社の方では社員も幹部も反対意見が多かったのです。不良債権会社なんか抱えると、当時の優良会社の負担はあまりにも大きすぎたためです。それでも、なんの抵抗もなく吸収合併に至ったのは、不良債権会社の中に、吸収を強く望む勢力がいたからなのです。






韓国からの要請


併合を強く望む勢力とは一進会を中心とした憂国団体でした。彼らは今日では朝鮮半島で売国奴扱いされていますが、自らの国の現状を冷静に判断し、そして朝鮮にとって最善と思われる選択をした人たちです。




日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけていた韓国を救ってくれた。それでも韓国はこれをありがたく思うどころか、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われることになったが、これは我々が自ら招いたことである。丁未条約を締結することになったのも、やはりハーグ事件をおこした我々に責任がある。伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにごされたことは忘れられない。にもかかわらずハルピンの事件がおきてしまった以上、今後いかなる危険が到来するのかわからない。これもまた韓国人自らそうしてしまったのである。(中略)それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国をつくって世界の1等国民として日本人とまったくおなじ待遇をうけながら暮らしてみよう
1909年 12月4日 一進会(百万の朝鮮人会員)


朝鮮時代、全権大使としてアメリカに渡った李成玉が各民族に接してみると、朝鮮人は米国人に軽蔑されているインディアンより劣り、その他メキシコ、インドなどの民族より劣っていることを知り、衝撃を受け、次のように述べている。「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことはできない。亡国は必死である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外に我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したのだ。」
朝鮮全権大使 李成玉 「李完用侯の心事と日韓和合」


「数千年にわたる過去の朝鮮史、ことに李朝五百年史だけをとりあげてみても、完全な独立の道などは一場の夢に過ぎないことはわが朝鮮自身の常識である。いわんや最近五十年の国際状況、特に日増しに険悪の度を増すこれからの世界史相を展望するとき、朝鮮が微弱なままに一度自立してみようというのは最初から問題にならないのである。してみると、今我々に残された唯一の道は、肉体的にも精神的にも内地人と同族になって、一切の権利と義務を同一に享受しようとする皇国臣民の道である。」
金文輯 「朝鮮民族の発展的解消論序説」


ちなみに「ハーグ事件」とは1907年6月にオランダのハーグで開かれた第3回万国平和会議に、朝鮮皇帝・高宗(コジョン)が各国の支援をとりつけようと3人の密使を派遣した事件です。しかし、外交権がない中、会議出席さえかなわず、要するに世界から完全に無視されました。当たり前である。国と国との約束を軽々しく反故にする(現在の北朝鮮・中国・韓国の順にこの傾向が見られる)ような輩を世界は相手にしない。しかし、このことがきっかけで「第3次日韓協約」=丁未(チョンミ)条約を調印することになってしまいます。


当時も現在もそうであるが、全く対等に結ばれる条約などあり得ない。どんなに理想的な条約でも双方共に不満はあるがお互い妥協して条約を締結する。実際、日本も欧米列強各国から不平等条約を押しつけられていたが、その条約を世界一遵守した。力を示し、法治国家であり、議会制民主主義国家であることを示し、約束の守れる、信頼の置ける、頼りになる国家に成長することによって条約改正を達成していったのである。しかるに、中華思想に染まる中国・朝鮮には「約束を遵守する」と言う考え方がなかったの(対等の国交という概念がないのだから、その理由も分かるだろう)だ。ややもすれば現在もそうである。韓国は戦後結ばれた日韓基本条約(1965)が「韓国の窮状につけ込んで結ばれたから無効である」とか言い出している。朝鮮半島全体の個人補償が韓国の要求により韓国という国家に一括して支払われ、日韓請求権協定(1965)により「日韓両政府間では請求権の問題は完全かつ最終的に解決された」と条文にあるにもかかわらず、個人補償の訴訟が後を絶たない。現在ですらこうであるから、政治機能を喪失していた当時の朝鮮は推して知るべしであろう。


ともあれ、現在の半島では売国奴扱いされる一進会ですが、現状把握と状況分析と政策判断に於いて、当時の朝鮮国内で随一の能力を持っていたであろうことが分かります。


まとめとると、貧困極まる朝鮮、国力(軍事力)の無さは言語に絶し、日本でなくとも清の属国のままか、ロシアの植民地となり民族浄化の憂き目に遭ったのは疑い得ない。ただ、一部の賢明なる朝鮮人が「どうせ独立は保てない。それなら清・露より日がいい!!」と喝破したことである。それは、(先取りする形になるが)総督府の善政として結実し、彼らの先見の明が証明されることになる。日本にとってはいい迷惑なのですが…



1910年、日本が韓国を併合したのは(韓国の)新皇帝が「請願」したからであった。パールハーバー以前は、日韓関係について語る歴史家は、日本が欧米列強から教わった国際関係の規則を、実に細かいところまで几帳面に守っていた、といってほめるのだ。トリート教授によれば、日本は「一つ一つの手続きを外交的に正しく積み上げていた。そして、・・・宣言ではなく条約で、最終的な併合を達成したのである。」
事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」手段を踏んでいなかった。
 アメリカの鏡・日本ー ヘレン・ミアーズ


何はともあれ、日韓併合は合法であった事実も併せて記憶しておいて下さい。これも無効だといいだす朝鮮人がいるのも閉口します。



朝鮮人は、朝鮮語を忘れてしまわなければならない朝鮮人が日本語でものを考えたときこそ、朝鮮人が最も幸福になった時である。学校で朝鮮語を教える必要は全くない。朝鮮人を不幸にしようとするならば、朝鮮語を永続させて、朝鮮的な低級な文化を与え、それ以上の発達を阻止することである。
玄永燮 「朝鮮人の進むべき道」


この考え方は、漢字以外に見向きもせず、ハングルが長い間忘れ去られた話を思い出す発言ですね。日本に事大しようとしているのは分かるのですが、余りにも行き過ぎです。ちなみに朝鮮総督府時代にも朝鮮語を禁止しようと朝鮮人から申し入れがあり、総督府はそれを退けています。

chousen-dic.png





台湾との比較


こうして併合に至ったわけですが、現在の朝鮮人があれほど怒る割には、併合時、全くといっていいほど抵抗がなかったのです。歴史的に俯瞰すれば、抵抗によって死んだ人は閔妃くらいじゃないかな?(要調査)まぁ、ほぼ0に等しい。例え、一進会という親日団体の存在を勘案しても情けなすぎる。


日本に編入されたのは台湾の方が朝鮮より15年ばかり早いですが、敗戦まで日本の領土でしたからこの2者は比較しやすいのです。しかし、現在の状況を見れば、朝鮮が徹底的な反日であるのに対して、台湾は親日国です。朝鮮が日本は悪いことしかしなかったと責めるのに対して、台湾は日本の統治の功を認めています。なぜ2者の間にはこのような差ができるのでしょうか?


日清戦争により割譲(1895)されることになった当時の台湾は、「化外(中華文明の及ばない)の地」「瘴癘(しょうれい、風土病)の地」と呼ばれ清国政府も余り関心がありません。台湾売却論まで出る始末でしたが、せっかく獲得した遼東半島を三国干渉によって放棄させられ、この上、台湾までなくなってしまうと、弱肉強食の世界で日本の防衛は危殆に瀕します。結局領土に編入することにしました。


当時、国家でもなく、単なる島に過ぎない台湾にはまともな武器もあろうはずもなく、清をも打ち破った日本に敵わない事は自明でした。しかし、敢然と日本の進駐に抵抗したのです。抵抗は烈しく、台南入城まで5ヶ月を要し、日本は帝国陸軍総数の3分の1にあたる5万人の兵、海軍は連合艦隊の大半を動員してやっと平定にこぎ着けました。日本側の死者は267人、台湾は1万4千人の死者を出しました。山岳地帯などでの武力抵抗が完全になくなるまで実に1902年までかかっています。


…うーん、抵抗のまるでなかった朝鮮とは較べものにならないくらい、台湾はもすごく犠牲者出してるんですけど。当時の日本に罪があったかどうかはともかく、領土編入の過程を見る限りに於いては、朝鮮より台湾に恨まれた方がまだ納得がいく。でも実際は逆。なんででしょうね?


正気の歌で有名な南宋の文天祥は、元に国が滅ぼされるとき敢然と抵抗し、滅びた後もレジスタンスとして活躍し、逮捕されます。しかし、フビライにその才を愛され、帰順の要請を受けますが、頑として肯んじえません。フビライは、あの手この手を使って説得を試みますが無駄でした。3年の土牢生活の後、最後の帰順勧告も受けず、ただ死を請うのみでした。フビライも仕方なく死刑にします。こうして文天祥は南宋の滅亡に殉じました。(フビライは彼を「真男子」と讃えています)


国が滅亡するときに殉じる人の質と量でその国の価値が分かるものです。もちろん南宋滅亡時には文天祥だけでなく多数の殉国者を出しています。作家の陳舜臣は「一人の文天祥がいるのといないのとでは、南宋という国家の輝きが大きく違ってくる(思い出しながら書いているからちょっと違うかも)」と言っています。


少なくとも、台湾は島とは言え、大日本帝国に正面切って闘いを挑み、編入当時300万人の人口のうち、1万4千人が殉じるほどの価値があったのでしょう。それにひきかえ1000万内外の人口を持つ朝鮮には…。


決して国のために死ぬことを強制しているわけでも賛美しているわけでもありません。しかし、まともな抵抗もせず国を亡くした朝鮮人と、勝てないと知りながらも戦った台湾人。両者の間に人間としての価値がやはり違うような気がしてなりません。そして、戦後の発言・態度を見ていてもそれはにじみ出ているような気がします。


この後にも朝鮮と台湾を比較することがあると思います。注意しておいてください。






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【こんてんつ】
日韓併合前夜
事大主義の悲劇
李朝末期
2つの戦争
そして併合へ…
朝鮮総督府


【関連記事】
・(H17.9.16)コリアV.S.大日本帝国

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2005年12月27日 (火)

2つの戦争

・2つの戦争
 AYLI ~As You Like It - 日本が寄生虫に…

2つの戦争

極東のこの戦争(日清戦争・日露戦争)を取り巻く状況には注目すべきことが多い。中でもとりわけ目立つのは、ミカドの軍隊の勇気と戦いぶりである。我々は不本意ながら、日本のすべての人間の行動を支配し動かす精神力の存在を認めざるを得ない。この力はいったい何なのか。その存在を感じると、妬ましく、落ち着かず、腹立たしくさえある。勇気は西洋にとっても珍しいことではない。が、これは単なる勇気ではない。その背後にもっと違う何かがある。もし、西洋の軍隊がそれをもっていたら、西洋のすべての国の軍旗は絶対に汚されることはなかったであろう。そういう何かである。これは何か。これは何か。これは何か。・・・・・
1904年10月4日 ロンドンタイムズ紙





こんてんつ





朝鮮の独立


朝鮮が中華思想と事大主義と儒教に取り付かれて国力を疲弊させている間にも国際社会は激動しています。列強と言われる国々は植民地を求めて動き回り、アフリカ・アジアの大部分は植民地と化しています。朝鮮半島を狙う勢力は清と帝政ロシアです。清は中華思想の原理そのままに「朝鮮は我が属国」と思っており、朝鮮の方でもそう思っているフシがありました。ロシアは不凍港を求めての南下政策が基本でしたから(この頃、ヨーロッパ方面でトルコ帝国とかはロシアにさんざんいじめられている)、アジア方面で目指すのは朝鮮だったのです。


よく言われる言葉ですが「日本にとって朝鮮半島は地政学上、咽元に突きつけられた匕首のようなものである」という言葉通り、帝国主義の華やかなりしこのご時世、日本にあまりに近い朝鮮半島に列強・帝国と呼ばれる勢力が入ってくると、日本にとっては死活問題になるのです(地図見て考えてね)。


日本の望みは朝鮮の真の独立でした。清の属国やロシアの属国が朝鮮半島に存在するのは困りますが、独立した朝鮮であればそれで全然大歓迎という立場だったのです。と、いうより、併合して朝鮮というお荷物を抱えたくないというのが真相だったかもしれません。先の江華島条約でも、独立をうたっていました。





日清戦争



日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。今度こそ、韓国を中国からの呪縛から解放しようとしているようだ。韓国国民に平和と繁栄と文明開化をもたらすことによって、力の弱い隣国韓国を安定した独立国にしようと考えている。こうした日本の動機は韓国知識層である官僚の多くが歓迎している。アメリカにも異存はないと思われる。
1894年7月29日 韓国駐在 アメリカ シル代表


まず、清の属国と化している朝鮮の独立のため戦争が起こりました。color=#ff0000>日清戦争(1894~)*1です。日本が朝鮮の独立を望んでいるのに、事大主義朝鮮は清への服属を望みます。格下日本への蔑視もあったでしょう。とにもかくにも清を追い払わないことには朝鮮の真の独立は達成できません。コトの詳細はさておき、日本の勝利に終わったことは皆様ご存知の通り。下関にて日清講和条約が結ばれます。



第一条 清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス因テ右独立自主ヲ損害スヘキ朝鮮国ヨリ清国ニ対スル貢献典礼等ハ将来全ク之ヲ廃止スヘシ

条約の第一条は最も重要な条文です。清国は「朝鮮が完全無欠なる自主独立の国であることを確認し、朝貢とかそういう主従関係を示す行事はこれから一切取りやめねっ!」と。これが一番言いたかったことなんです。日本が朝鮮の独立のため戦ったことがこれで分かるでしょう。


実際に朝鮮は1897年に、明の皇帝に認めて貰った国号・朝鮮を大韓帝国と改め、今まで中華の天子にしか許されていなかったcolor=#ff0000>皇帝を名乗れるようになるのです。形の上かもしれませんが、明らかに華夷秩序からの離脱を果たしています。


ここで問題なのは次の項。



第二条 清国ハ左記ノ土地ノ主権並ニ該地方ニ在ル城塁、兵器製造所及官有物ヲ永遠日本国ニ割与ス 第二条の一 左ノ経界内ニ在ル奉天省南部ノ地
鴨緑江口ヨリ該江ヲ溯リ安平河口ニ至リ該河口ヨリ鳳凰城、海城、営口ニ亘リ遼河口ニ至ル折線以南ノ地併セテ前記ノ各城市ヲ包含ス而シテ遼河ヲ以テ界トスル処ハ該河ノ中央ヲ以テ経界トスルコトト知ルヘシ
遼東湾東岸及黄海北岸ニ在テ奉天省ニ属スル諸島嶼

所謂(いわゆる)、三国干渉と呼ばれるものが発生します。この条約によって日本は清から遼東半島を割譲されるはずでしたが、ロシア、フランス、ドイツの三国からの「やめろや、なぁ?」という脅しに屈した事件です。この時代の帝国主義は暴力団の抗争のようなものなのです。干渉する方もメンツがかかっており、干渉を無視されたら日本に「懲罰(武力行使)」して「勝つ」自信がないとできない行動です。このときの日本の実力ではこの三国の干渉を撥ね退ける力はありません。無体な要求を呑む屈辱は耐え難いものがありましたが、断腸の思いで泣く泣く遼東半島はあきらめました。これが「三国干渉」のあらすじです。この屈辱の事件以降、「臥薪嘗胆」をスローガンに日本の富国強兵はいっそう加速します。

nitiromap011.jpg

日清戦争は日本からみれば、完全な成功だった。西洋列強は喝采し、日本における彼らの「特権」を相次いで放棄した*1。そして、日本を対等の主権国家として承認した。日本は韓国に自由を贈り、韓国国王は中国皇帝、日本天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た
アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ

大韓帝国と名を変えても朝鮮は事大主義のままでした。これを見ていた朝鮮はこう思ったのです。「日本よりロシアの方が強いんだ…」と。その通りです。この時点では日本はロシアに勝てません。ここで事大主義(勢力の強い方になびく)の本領発揮です。(やっぱりというかなんというか)李氏朝鮮はロシア(が次の親分だーい)に擦り寄る姿勢を見せたではありませんか。だってロシアのほうが大な(強い)んだもーん。ロシアに事大されてしまっては、宗主国が清からロシアに変わるだけで「朝鮮の独立」という目的は達成されないことになってしまいます。


日清戦争は動員兵数24万人、戦傷者115419人、戦死者13309人、軍費2億円





日露戦争


次はロシアに事大しようとする朝鮮。朝鮮に対するロシアの干渉を排除するため、2つめの戦争が始まります。日露戦争(1904~)*2です。この戦争が始まってすぐ、1904年2月には日韓議定書を結んで日本軍の半島往来の自由を確保しています。当たり前です、朝鮮防衛戦のようなものですから。そして同年8月には第一次日韓協約(日韓保護条約)を結び、親清・親露と揺れ動く韓国にムカついて外交権を接収、保護国とし、首都漢城(ソウル)に統監府をおいて、伊藤博文が初代統監となりました。



「日清戦争後間もなく、ロシアが手を韓国にのばすや、韓国はそれをとがめぬばかりか、韓国独立のために謀る日本を嫌厭した。韓国は自国の独立の為には、不利なことは判りながらロシアに追従したではないか。日清の役から日露の役に至る十年間、韓国は奮って、独立の要素を滋養しなければならなかった時期であったにもかかわらず、これを顧みず、或いは右に傾き、或いは左に傾いて、その為ついに、日本が韓国のためにロシアと戦わねばならなくした。故に今日、日本が韓国の外交権を掌中に収めたのは、当然のことである。何故ならば、これを依然として、韓国人の手中に収めて置くとするならば韓国は何時までも、列強の競争場となり、日本のために極めて危険だからである。然るに韓国人は、今日にいたっても尚、外交権を回復するだけの実力を養う努力をしようとせず、しきりに、他国の援助によって、これを日本から取り去ろうとしているようである。けれども、どんな国にせよ、他国のために自国の財力と国民の生命を供するものではない。およそ、国家は、自ら独立する要素なくて、単に、他国に寄りかかっているだけで、立っていけるものではない。今日のままで進むとすれば、韓国を亡ぼすものは、他国ではなく、韓国自身ではなかろうか。故に諸君は反転表裏なく、専心一意、韓国のために謀らなければならない。日本は諸君を助けて、韓国を独立させるよう多力しつつある。然るに韓国人は日露戦争のような大激戦を目撃しながら、尚、覚醒しないのは何事であろうか。そうだ。韓国を亡ぼすのは日本人ではなくて、内外の形成を察せず、無謀軽挙を事とする韓国人である。自分は韓国の改革に絶望した事もしばしばである。然しながら、韓国の形勢に顧みて、忍耐して従来の方針を改めないる国は自ら立たなくてはならない。今日のように進むならば、韓国はもはや、自滅の外ない。」
伊藤博文公が韓国の官僚たちに与えた訓示

実力を養おうとせず、他国の援助によって物事を達成しようとするのは典型的な事大主義です。ともあれ、この戦争は知っての通り、ギリギリで日本が勝ちます。


朝鮮の独立をめぐっての戦争のはずだったのに世界史に意外な効果をもたらしました。アジア・アフリカの植民地化が始まって以降、「白人に有色人種は敵わない」のが絶対の法則として世界の常識でした。しかし、極東のイエローモンキーが白人国家に勝ってしまったことにより「黄色人種(白人以外の人種)でも、白人に勝てるんだ!」。この世界の常識を破った衝撃は列強(=白人国家)に植民地支配されていたアフリカ・アジア・その他の民族に大きな勇気を与えたのです。日露戦争の勝利以来、日本は有色人種の旗手として認められたのです。あ、ついでに列強の仲間入りをしました。例えばトルコ、在米黒人ベルサイユ条約における日本の提案…等



日露戦争後、アメリカは「事実の論理」を認め、韓国から代表を引き上げた。韓国皇帝はセオドア・ルーズベルト大統領に訴えたが、大統領は「韓国は自主統治にも自衛にもまったく無能力であることがはっきりした」として、介入を拒否した。日本によって「その後三年の間に、現地情勢に詳しい外国人たちの賞賛を勝ち得るような改善が多く実現された」と書いたアメリカの歴史家もいるのだ。

この「朝鮮は無能力」というレッテル・評価はつきまとい、戦後もそれは悲劇を呼びます。しかし、今、半島を見ていると…それはレッテルではなく、正当な評価のように思えてなりません。


日露戦争は動員兵数109万人、戦傷者381313人、戦死者81455人、軍費18億円





統監府政治


初代統監・伊藤博文公は一貫して「韓国併合に反対」する立場の人でした。朝鮮を真の自主独立の邦として立ち行かせるのを目的として、日本国内の征韓論者を抑えていました。ところが伊藤博文はハルビン駅で暗殺(1909)されます。犯人は朝鮮人の安重根(アンジュングン)。この後、強力な反対者を失った征韓論は勢い付き、程なく日韓併合(1910)に至るのです。現在、安重根は反日国家・韓国では英雄です。しかし、2つほど気になる点がある。いくら取り繕おうとも安重根は一介のテロリストであって、テロリストを英雄視するのはいかがなものかと。2つめは安重根の伊藤公暗殺の動機である。「今ヲ去ル四十二年前現日本皇帝ノ御父君ニ当ラセラルル御方ヲ伊東サンガ失ヒマシタ其ノ事ハ皆韓国民ガ知ツテ居リマス」つまり「伊藤博文は孝明天皇(明治天皇の父)を殺害した。そのことは韓国民は良く知っている」と言っているのである。安重根は皇室に不敬のあった、あるいは天皇陛下の意に反した(と、彼は考えていた)伊藤を殺害に及んだのであって、「伊藤が韓国を併合しようとしていた」と誤解して、それに反対して暗殺したのではないという…反日韓国的にはマズくないかい?


ちなみに伊藤博文公暗殺に関して各国は以下の通り。




「伊藤公暗殺」に対するロシア人の論調
<思えば思うほど情けない限りである。最後の大戦争(日露戦争)以前に伊藤公爵が言われたことを、もし、ロシアが聞いていたら、あの悲惨な戦争も、ロシアの敗戦という不名誉もなかったのである。伊藤公爵のハルピン来訪目的は、わが大蔵大臣との外交上の空しい儀礼的なものでなかったことは、誰もが知っていた。伊藤公は「ロシアは満州から去れ」などという、一点張りの主張をする人ではない。尊敬すべき老大偉人の逝去は、日本の損失ばかりでなく、わがロシアの損失であり、韓国が大損失をこうむることは必至である。>
東清鉄道長官 ホルワット少将 「ハルピン・ウェストニツク紙」


「伊藤公暗殺」に対してのイギリス人の論調
<公を泰西の政治家と比較するに、公はビスマルクの如く武断派ではなく、平和的であったことはむしろ、グラッドストーンに類するところである。
財政の知識が豊富であったことはビールにも比すべく、策略を行うに機敏かつ大胆であったことは、ビーコンスフィールドに似ている。公はすべての大政治家の特徴を抜粋して一身に集めた観がある。殊に公は驚くべき先見の明を有し/要するに四十余年の永きにわたって終始一貫、国家の指導者たる地位を占めたのは、実に千古の偉観というべきである。>
「伊藤公の性格」ブリンクリー主筆 イギリス紙「ジャパーン・メール」


「伊藤公暗殺」に対する韓国皇帝の論調
<伊藤を失ったことで、東洋の人傑がいなくなった。公はわが国に忠実正義をもって望み、骨を長白山に埋めて、韓国の文明発達に多くすと揚言していた。日本に政治家多しといえども、伊藤のように世界の大勢を見て、東洋の平和を念じた者はいない。実に伊藤はわが国の慈父である。その慈父に危害を加える者があるとすれば、物事の理事を解さない流浪人であろう。>
十月二十七日 太皇帝(高宗)
<伊藤を失ったことは、わが国といわず、日本のみならず、東洋の不幸である。その凶漢が韓国人とあっては、赤面のほかない。>
十月二十八日 太皇帝(高宗)


ともあれ、伊藤博文の政治は海外からこのような評価を受けています。


私の見るところをもってすれば、伊藤侯の統治は最大なる賞賛に値するべきものであり、大変満足しております。韓国国民は今やようやく、彼をもって自分達の友人であると知って、これを事実の上に現し始めました。過去三年の間における韓国の進歩の大きいことは、実に私をして統監政治の最も熱心な支持者であることを告白せしめます。私は伊藤侯の必ず成功すべきことを信じて疑わないものであり、また、すべての宣教師及びその他の韓国における文明開発の義務を知る者は、等しく伊藤侯の統治を支持しなければならないと思います
宣教師 ハリス博士 


 伊藤博文公は世界周知の如く日本の最も偉大かつ、有名な政治家である。彼の韓国赴任は、たいへんな自己犠牲であった。伊藤公が、その韓国改善のプランを打ち明けたとき、私の心は躍った。そこには改革、公正、斡旋があった(李朝朝鮮)が犯したあらゆる誤りがそこでは救済されるはずであった。「私は、自分が韓国国民と日本国民との間に立って、両者の間に正義がおこなわれるようにすべき立場に立っていると思う」と公はそう言明したのである。
カナダ人ジャーナリスト フレデリック・アーサー・マッケンジー 1906年 ロンドン・ディリーメール紙

韓国は日本の保護によって新生命、新光明に浴している。高い政治道徳を重んずる進歩的であり、円滑である伊藤総監によって、韓国人は暗黒時代から光明世界に導かれ、未開時代から文明時代に進むべく手を取られて進みつつあり、旧来の久しい悪政から免れ、彼らの生命財産は確実に保護されつつあって、あらゆる面において、三年間に三倍の進歩を遂げた。
韓国在住  宣教師ラッド博士

朝鮮の王室と政府は腐敗堕落しきっており、頑迷な朋党は、人民の財を略奪している。その上、人民はあまりにも愚昧である。これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地になるだろう。伊藤博文総監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。
アメリカ人の朝鮮外交顧問  ドーハム・スティーブンソン


戦後の日本はヘタレと言われるが、それでも小泉首相が韓国人に暗殺されたとしよう。おそらくかなりの騒動になるね。もし、仮に天皇陛下が…考えるのもイヤだけど、もしそうなったらすぐに憲法改正の後(やんなくてもいいけど)、核装備、速やかに朝鮮半島消滅くらいの行動は取るね。少なくとも俺はやる。安重根がやったことは日本のタカ派を刺激しただけだったという…現在、天皇陛下が半島を訪問しない理由はここにある。未だにテロリストを賛美するような国で、陛下のご訪問時にもしものことが起こったら、日本を戦前・戦中以上のイケイケ軍事国家にしてしまう危険性があるのだ。また、高円宮殿下が半島を訪問してすぐに薨去(こうきょ)されたことは、あの国のあの法則を補完するものとして、しっかり心に刻み付けます。





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※引用文中の画像は、私が勝手に付与したもの

【こんてんつ】
日韓併合前夜
事大主義の悲劇
李朝末期
2つの戦争
そして併合へ…
朝鮮総督府


 ついでに、「あの国のあの法則」の内容と、その事例を以下に記す。

あの国のあの法則
 魔の法則
檀君の呪い
《絶対法則》

第一法則
  国家間から企業、個人に至るまで、あの国由来の想念と同調する者に災いが訪れる。

第二法則
  第一法則において、あの国が抜け駆けをするとあの国のみが災いにみまわれる。

第三法則
  第一法則において、あの国から嫌われると法則を回避できる。
  この時、嫌われる度合いと回避できる割合は正の相関関係にある。

第四法則
  第一法則において、あの国と縁を切った場合、法則を無効化出来る。

第五法則
  第一法則において、一方的にあの国と商売を行い利益を得る場合、 法則は発動しない。

第六法則
(法則の逆発動)
  第3・第4則において、あの国と縁を切る、あの国の面子を損なうなどの行為を行い
あの国由来の嫌悪の念を受けた場合、 「法則の逆発動」にて運気や業績その他、
全ての面に置いて運勢の急激な回復、若しくは上昇傾向が期待出来る。

7【ソニー関連発動】 05/05/12 12:31
 あの国のあの法則
既に失敗が決定的となったPSP、韓国で今月2日に発売
それにより追加発動・・


ついに任天堂にTKOパンチをブチかまされ、
死刑宣告を下されてしまう・・

786 名前:名無しさん必死だな[sage] 投稿日:2005/05/09(月) 17:55:23 ID:Uc1qiJnj
こっちにも張っとくか
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20050509/ninten.htm
・販売店など全国1000箇所にDSのアクセスポイントを設置する
・自宅からでもWiFi対応のルータから接続可能
・任天堂ソフトのサービスは一切無料
・サードパーティーのソフトによっては月額課金もありえる

787 名前:名無しさん必死だな[sage] 投稿日:2005/05/09(月) 17:56:14 ID:terw11Hr
> 無線LANスポット開設、ユーザーのAPも使用可能!!
> 任天堂、岩田社長よりWiFiを利用した
> 無線通信サービスに関するコメントを独占掲載!!
>;ttp://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20050509/ninten.htm

PSPゲームシェアリングに死刑宣告キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!

SCEK、韓国発売のPSPにブラウザソフト同梱。公衆無線LANとの連携も
http://bb.watch.impress.co.jp/cda/news/9289.html
 Sony Computer Entertainment Korea(SCEK)は、韓国で5月2日に発売するPSP(プレイステーション・ポータブル)にブラウザソフトを同梱することを明らかにした。専用サイトにアクセスし、コンテンツのストリーミング視聴などが可能になる。
 韓国で発売されるPSPは、日本国内で販売されているPSP バリュー・パック(PSP-1000K)にクリーニングクロスや映画「スパイダーマン2」のUMDビデオ、ブラウザや動画/音楽プレーヤー機能などを搭載したネットワークユーティリティディスクのUMDが同梱する。標準価格は328,000ウォン(約34,800円)。
 韓国の通信事業者KTとも提携しており、KTの公衆無線LAN接続サービス「NESPOT」のPSP向けプラン「Nespot Service for PSP」も用意される。ネットワークユーティリティディスクを使用してNESPOTにアクセスした場合、SCEKの専用サイト「PSP Club」とNESPOTの専用サイトが利用可能。SCEKのサイトではゲーム情報やトレイラー、ゲーム音楽といったコンテンツが、NESPOTではストリーミング形式で視聴できるVODコンテンツなどが用意されるという。
 Nespot Service for PSPは5月2日から7月31日までは無料で利用できるほか、PSP NESPOTを契約したユーザーにはKTの無線LANルータに加えてPSP用レースゲーム「Glorace」が10万本限定で提供される。Gloraceは無線LANを介したオンライン対戦も可能だという。Nespot Service for PSPの月額料金は5,000ウォン(約530円)。
 ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCEI)は今回のNESPOT対応について「無線LANのインフラが整っている韓国ならではのサービス」と説明。日本での公衆無線LANサービス対応は現在のところ未定だという。

karuta_we.jpg

【関連記事】
・(H17.8.21)写真で見る哀れなコリア
・(H17.8.20)被害者が日本人であれば犯罪者が英雄になれる国、韓国
・(H17.7.28)ネットテロは天に唾を吐くのと同じだ!

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2005年12月20日 (火)

李朝末期

・李朝末期
 AYLI ~As You Like It - 日本が寄生虫に…

李朝末期

北朝鮮を彷彿とさせる事実





こんてんつ





朝鮮の開国


朝鮮を一番最初に開国させたのは日本で、前章でも書いた江華島条約(1876年2月締結)によるものです。この条約を見てみましょう。



第1条 朝鮮ハ自主ノ国デアリ、日本卜平等ノ権利ヲモツ。
  コレカラ両国ハ和親ノ誠意ヲ表スルタメ、互二同等ナ礼儀デ対シ、少シモ侵略ノ野欲ヲ抱イテハナラナイ。先ズ従前ノ国交阻害ノ禍根デアル諸法規ヲ廃止シ、極力公明正大ナ法規ヲ広ク規定シ、双方ノ永遠ノ安寧ヲ期スルコト

いきなり、「朝鮮は独立国です」から始まる辺りが、清の属国であった事実を伺わせますね。後にも触れますが、日本としては朝鮮に独立してほしかったことが分かります。礼儀云々は事大主義・儒教信奉の朝鮮に対しての嫌味でしょうか(笑)

ちなみにこれは不平等条約でありました。その点についての議論はしません。今の時代の価値観で語られても困りますから。ただ、治外法権だけは今の価値観でも首肯できます。当時の朝鮮で裁かれるのは絶対イヤだな。と思わせる事例(拷問等)がこの後、いろいろ出てきます。

chousen-goumon.jpg

同様の条約を諸外国と結んで、朝鮮もとうとう開国します。あ、同様の条約と言っても西欧列強は朝鮮を清の属国と見なしており、朝鮮を独立国家として扱ったのは日本だけだという事実も付記しておきます。





外国人から見た朝鮮


李朝とは1392年に朝鮮半島に立てられた王朝、李氏(りし)朝鮮です。日韓併合まで、一応この王朝が続きます。開国したばかりの朝鮮を訪れる外国人から見た、李朝末期の朝鮮のありのままの姿を紹介します。日本の資料もたくさんあるのですが、これを使うと半島の方々からの「日帝の捏造だ!!」と言われるのは目に見えているから…(笑)





首都近辺の様子



「北京を見るまで私はソウルこそこの世で一番不潔な町だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだと考えていた。都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。礼節上2階建ての家は建てられず…」 「彼らはいつも借金で首が回らず、何かちょっとした官職の一つでも回ってこないかと首を長くしており、それを得るためにあらゆる卑劣な行為をつくし、それでもなお望みがかなえられない場合には飢えて死んでしまう」 「読者は朝鮮人の無気力、怠惰、居候根性、貧しさをつぶさに観察されたことになるが、このため朝鮮の独立はきわめて困難で、将来を望むことが難しい。朝鮮の事々物々はことごとく低級である。貧弱である。劣等である。イギリス旅行家イザベラ・ルーシー・ビショップ 「三十年前の朝鮮」


「貴方はみすぼらしい茅屋というものを見たことがあるでしょう。では貴方の知っている最も貧しい茅屋を、その美しさと強固さの程度を更に落として想像してみてください。するとそれがみすぼらしい朝鮮の住まいについての、殆ど正確な姿となるでしょう。」 「2階建ての家は探しても無駄です。そのようなものを朝鮮人は知らないのです」シャルル・ダレ、住居の項にて:289頁


「朝鮮人は一般に頑固で、気難しく、怒りっぽく、執念深い。それは彼らがいまだ浸っている未開性のせいである。」ダブリュイ主教「朝鮮事情」


…えらい言われ様である。が、しかし、これが「外国人から見た」李朝末期の正味の姿なのです。その他の外国人、韓国誌(ロシア大蔵省の資料)にも同様あるいはもっと詳しいことが書かれています。これらを「開国したばかりの朝鮮を訪れる外国人を日帝が買収して事実を捏造している」とかいうふざけた反論はお控えくださいませ。あと、「世界中の国が朝鮮に対して民族差別をしていたんだ」とかいう情けない反論もやめてください。


正直、これまではこんな事を書いても「いくらなんでも」と信用されない恐れがありました。また、朝鮮人たちの反発も予想されたものです。しかし、今なら誰もが信じるでしょう。もう私たちはあの北朝鮮の現状を知っているのですから…。





政治



「朝鮮の両班は、まるで支配者か、暴君のごとくふるまっている。両班は、金がなくなると、使者を送って商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行され投獄され、食物も与えられず、両班が要求する額を支払うまでムチ打たれる。両班の中で最も正直な者たちも、多かれ少なかれ、自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかつて、ないからである。彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合支払いなしで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止する守令は一人もいない。」マリ・ニコル・アントン・ダブリィ主教「朝鮮事情」

李氏朝鮮の残酷な死刑や拷問に対して「こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間存在そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥じるべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうということだ」 スウェーデン人 アーソン・グレブスト  「悲劇の朝鮮」


韓国は古くから中国の属国だった。国を統治する王家はあったが、彼らは中国朝廷に朝貢し、外交政策は中国に指導を仰いでいた。」アメリカの鏡・日本 ヘレン・ミアーズ


1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を襲い、国土は荒廃した。あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人の密航業者に1人当たり米1升で売るものもいた。北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人かの朝鮮人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し、「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ。」フランス人宣教師 シャルル・ダレ(朝鮮事情・平凡社東洋文庫)


政治は無いも同然でした。事大主義の影響で政治力が無いのはもちろんですが、これはなんとでもなります。それよりも、身分・序列を厳しく守る儒教信奉の呪縛は支配者層に「民を大切にしよう…」という気持ちを失わせてしまったのでしょう。身分が低い階層を徹底的に弾圧する両班の姿も、餓死していく国民を放置しておく国王の姿も、それを如実に物語っています。


この事態を招いた最大の原因が、儒教思想による身分制度の絶対性からくる、「民への慈悲の欠如」であったことは間違いありません。この気持ちがあれば、制度や政策なぞ、なんとでもなりますから。





身分制度


両班とは朝鮮における貴族階級のことです(文系の両班と武系の武班があった)。その他、良人と白丁(奴隷階級)がありました。儒教のせいでしょうね、身分差別は激烈で、日本の江戸時代に士農工商とは比べものにならないくらい酷いものでした。今でもその残滓は見受けられます。韓国人に出自を聞けばほぼ100%の人が先祖は両班だったと答えるでしょうから、そのメンタリティも知れようというものです。一番下の階層は白丁(ぺくちょん)と呼ばれ、彼らへの差別はすさまじく、これに耐えかね新天地を目指して日本に移住・密入国した白丁が戦後の在日を構成しています。半島へ帰れない理由はこの辺にもあったのですね。


他にも地域差別もありました。これは現在の韓国大統領選でも現れます。選挙そのものが地域対立の観を呈してくるのです。


要するに李朝末期の朝鮮の状態は(両班を除く)民衆にとっては最悪だったということです。「人間存在そのものへの挑戦」とまで言われる拷問。儒教では君子は何もしないで本を読んでいるのが理想とされていましたから、職人は軽蔑される存在でした。これによって技術は全然発達せず技術者の養成も全く可能性がありませんでした。君子たるべき両班は働かないどころか「両班はキセル(タバコを吸う道具)ですら、自分で持つことをせず、徹底して何もしないのが習わしであった。」のです。この階級が人口の48%にまで増大した季朝末期の民衆の苦難は想像に余りあるでしょう。国の半分の人が何もしないで食っているのですから…また、人口1000万近くの内、軍人はわずか2千人に過ぎず(武班より両班の方が序列では上なので…)、軍事的には、宗主国である清に依存する体質でした。


上の文献にもあるように、48%を占める両班の横暴によって民衆の勤労意欲は減退の一途を辿ります。カナダ人ジャーナリストのマッケンジーは「朝鮮の悲劇」でこう書いています。「私は、十分に耕せそうな土地をほったらかしにしていながらも、飢えに苦しむ農民のさまが理解できなかった。『どうしてそれらの土地を耕さないのか?』と聞いたところ、『耕せば耕すほど、税をとられるだけのことだ』という返事があった。」と。


そして、首都であるソウルが夢の島状態。世界でトップクラスの汚さと評価されています。実際、伊藤博文もその話を聞いてまさか、と思いました「やせてもかれても王城の地(一国の首都)だ。そんなはずはない…」と言ったそうですが、実際に見て、即座に日本人公官専用の街を作りましたとさ。


また、無秩序に燃料の薪を切り出すから禿山ばかり、治水もしていないため、洪水が頻発。自然の雨に任せる農法のため、生産高は上がらず、李朝期を通じて朝鮮の人口は全く増加しませんでした。また、朝鮮農民の間には、古来から「春窮、麦嶺越え難し」という古諺があります。農民は収穫の5割以上が年貢として取り立てられてしまい、収穫した米も翌年3月の初めごろには全部、食いつくしてしまいます。そこで、じやがいもや麦のできる6月までの3ヵ月は、春窮期といわれ、この期間には定期的に餓死者が出るという社会でした。


何はともあれ、李朝末期の半島は、今の日本人が想像もつかないレベルの荒廃したヒドイ国家だったのです…書いてて泣きそうになった。しかし、これは今の北朝鮮を見れば分かるでしょう。人口の1割2割が死んでも平気なのが朝鮮人の為政者の特性です。ちなみに日本では…なんちゃらの大飢饉の時でも1割2割も飢え死にしていないと思う。(要調査)





まとめ


政治は乱れ、庶民は困窮を極め、軍事的には無力で、身分差別や地域差別がすさまじく、不潔で汚い首都、それから連想すれば病気も蔓延していただろう事も容易に想像のつく、とんでもない社会だったのです。 また、経済は疲弊どころかまともに機能してなかったのも実情でした。


現在の北朝鮮はどうでしょうか?51もの出身成分による差別。食料は党と軍に配分され、一般の人々が百万人単位で死んでいく現実。しかし、為政者は自分の権力と、メンツだけを守るために、なすべきコトをしていません。病院の点滴がビール瓶で行われている現実は、時代こそ違え、全く同じと言えます。


彼らは歴史に学ばなかったのでしょうか?いいえ、違います。栄光に満ちた朝鮮史の捏造過程で、悲惨な李朝末期の歴史は飛ばされてしまったため、彼らが作り出したヒデヨシ・ニッテイ以外に朝鮮には悲惨な歴史はありません。なくなってしまった悲惨な歴史には何も学べません。そして今、同じ間違いを繰り返しているのです。


参考リンク:4人の外国人が見た韓国併合前の朝鮮





おまけ


ちなみにこれより前に日本を訪れた外国人は日本をどのように思ったのでしょうか。





「人々はみな清潔で、食料も十分にあり、幸福そうであった。これまでにみたどの国にもまさる簡素さと正直さの黄金時代をみる思いであった。」
幕末に来日したアメリカの総領事


「我々ヨーロッパ人は、互いの間では賢く写るが、日本人に比べるとはなはだ、野蛮であると思う。私は毎日、日本人から教えられることを告白しなければならない。私は世界の中で、これほどまで天から才能を与えられた民族はないと思う。」 「京都は、ヨーロッパならローマにあたるが、科学、見識、文明はローマよりはるかに高尚である。信仰さえ別にすれば、我々は日本人よりもあきらかに劣っている。」16世紀 イエズス会本部への報告書より宣教師 ニエッキ・ソルド・オルガンティーノ


「日本人は何よりも名誉を重んじ、彼らの大多数は貧しいが、貧困は貴族にとっても武士にとっても平民にとっても、決して恥ずかしいことでも、不名誉なことでもない。彼らは『正直さ』のほうを選ぶ。未信心者のなかで、日本人より優れている民族はいないと思われる。」 宣教師  フランシスコ・ザビエル


にゃあん…こそばゆいです。日本人に生まれたことを本当に心から誇りに思える。他にも文献はいっぱいあるが、これくらいにしておこう。だって、誰かさん達があまりにも可哀想だから…。


平和と環境保全のモデル社会-江戸


花のお江戸はボランティアで持つ





Copyright (C) 2003 AYLI

※引用文中の画像とリンクの一部は、私が勝手に付与したもの

【こんてんつ】
日韓併合前夜
事大主義の悲劇
李朝末期
2つの戦争
そして併合へ…
朝鮮総督府


【追記 H21.6.19】
 当時の風景を説明する資料を以下に示す。







・朝鮮の夜明け前 p22
 朝鮮軍司令部 1904‐1945
 朝鮮王国の宮廷が所在する首都は漢陽である。しかしこの名前で呼ばれることはほとんどなく、普通ソウルと呼ばれているが、この言葉は大都市とか首都を意味している。ソウルは山並みに囲まれており、漢江の流れに沿って位置し、高くて厚い城壁に囲まれた町であるが建物には見るべきものはない。いくつかの道路(巾約16メートル)を除けば曲がりくねり、背負子人夫の往来も窮屈な路地ばかりである。足にひっかかるものといえばゴミ。瓦屋根は宮殿といくつかの役所だけで民家はすべて背の低い草葺の家である。屋根が風で飛ばされないように縄をかけた小屋がほとんどで、二階建ては全土に存在しなかった。これは王を上から見るのを禁ずるためとも、冬季の暖房であるオンドルを二階に工事するのが困難だったからだとも言われている。周囲の城壁は太祖(李成桂・在位1392-98)によって造られたが、四代世宗(在位1419-50)によってさらに新しい城壁が積み上げられた。

 周囲は歩幅で9975歩あり高さは約10メートルである。大門4つと小門4つの8つの門があった。大門はきわめて美しく、その上に中国式の楼閣が載っている。夜が訪れ、役人が鐘を鳴らすと城門はぴたりと閉ざされて、いかなる高官といえども開門はできなかった。そして城内の男は謀反・陰謀防止のため屋外に出歩くことを禁止された。(省略)

 昔の市街は非常に汚かった。犬が非常に多く、どんな家庭も食用として飼っていたが、病犬の多いのには閉口した。びろうな話で今頃の朝鮮人諸君は驚くかもしれないが赤ん坊の用便は全て犬が掃除してくれるという、不潔きわまる有様であった。犬肉のスープはポシンタンといって人々の大好物だった。
朝鮮軍司令部 1904‐1945

国書刊行会 [著] 古野 直也

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2005年12月17日 (土)

事大主義の悲劇

・事大主義の悲劇
 AYLI ~As You Like It - 日本が寄生虫に…

事大主義の悲劇


朝鮮を縛るもの(1/23 更新)




  こんてんつ


事大主義の悲劇とタイトルをつけましたが、歴史的に見て朝鮮半島を縛っているものは大きく「中華思想」「事大主義」「華夷秩序」の3つがあります。「儒教」も入れて4つですが。現在の朝鮮半島にもたらされる大きな問題は、原因の淵源が全てこの4つに集約されると言っても過言ではありません。この中で、日韓併合(1910)に最も大きな影響を及ぼした事大主義をタイトルにしました。


ここではこの3つの用語を説明しつつ、朝鮮半島の歴史を眺めたいと思います。と、いうよりこの用語を知らずして朝鮮半島は語れません。なお、韓国の国定教科書のような記述は致しませんのでご了承のほどを。





中華思想


中華思想とは、簡単に言ってしまえば、中国が文明の中心地であるという思想です。正確な表現をするなら、中原(周があった辺り。時代によって少し変わる)を文明の中心として、そこから離れるに従ってどんどん野蛮になっていくという考え方です。小室直樹氏の説明を借りれば、中原を100%中華とすると、そこから離れるに従って90%中華、80%中華…と文明度が低下して行き、遠方の0%中華なんてもう野蛮人の巣窟となります。


イギリスが中国(清)に国交を求めた頃(19世紀)、清はイギリス女王のことを「野蛮人の女酋長」と呼んでいたくらいです。今でこそ笑い話ですが、これが中国が蝕まれる大きな原因になったことは疑い得ません。誰だって野蛮人扱いされるならその国を嫌いになれます。中華思想の悲劇と呼んでおきましょう。


この田舎者たちを方角によって区別する言い方があります。東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき)で、夷・戎・蛮・狄は全て「えびす(文明度の低い民族・土地)」と読めます。ためしに「えびす」で日本語変換してみてください。まともなIMEなら全ての文字が変換できるでしょう(ATOKは蛮が出てきませんでした。IME2000なら全て出てきます)。例えば中国から見て東にある田舎者の日本の話は「後漢書東夷伝」に登場すると言った具合です。南蛮は今の日本でも使いますね。


秦(B.C.771~)の統一中国以降は、大規模な内乱の時期を除いて中国はアジアで最も強力な国として君臨します。それゆえ、中華思想は現実の力関係にも支えられて浸透していきました。






華夷秩序


華夷秩序とは、中華思想を源泉に組み立てられた秩序です。中国を中華とし、その他の地域(夷:えびす)を厳然と区別します。この秩序では対等な国交という概念がありません。というより、他の国の存在を認めません。中国だけが国であり、後は野蛮人のすむ地域に過ぎない、とするのです。


例えば日本が中国と貿易したいと思ったとします。しかし、中国は対等な国交など認めません。形式としては、はるばる遠い辺境から中華皇帝の徳を慕って子分にしてくれと、けなげにも日本(東方の島)の土民が貢物を携えてきたということになります。そして、貢物の数倍に及ぶ物品を下賜(かし:上から下にご褒美をあげる)します。これを朝貢と呼びます。また、中華の子分になるならという条件で土民の酋長を王と認めてくれます。これを冊封(さくほう)といいます。もちろん皇帝よりランクの低い王に封ずるのです。冊封は王の代替わりごとに受けなければなりません。

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匈奴に単于(皇帝の意味)という位を与えたりすることもありますが、それでも中国とは対等ではありませんので違う字を用い「皇」は使わせません。念のため。


中国が強大である、という理由以外に、朝貢貿易(中国は貿易と考えていない。恵んであげているだけ)はむちゃくちゃ儲かるし、冊封を受けたら自分の権威が上がるので、実質はともかく、形式的には中国の傘下に入ったのです。こうして古代東アジア全域にこの華夷秩序が浸透しました。もちろん、日本も例外ではありません。


しかし、聖徳太子が隋の煬帝に有名な国書を出して(600or607)以来、この華夷秩序からの離脱を宣言します。「日出づる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致(いた)す、恙無(つつがな)きや、云々(うんぬん)」で始まる国書は、お互いに天子(皇帝の意:華夷秩序の中では中国以外使えません)と呼称しています。さらに言うと、方角的に東の日本が「日出づる処」で西の隋を「日没する処」と呼んでいるのですから、対等どころか日本のが上だったりします。以後、日本は天皇号を使用し、独自の元号を定め、かなを駆使し、物語が作られ、国風文化の花が開きます。


年代が2つあるのは、隋書倭国伝には600年に来たと書かれていて、日本書紀には607年とあるからです。


本来なら、華夷秩序の中ではこれほど恐ろしいこともありません。なぜなら中華に従わない(まつろわぬ:中華皇帝でもないのに天子と呼称することが該当)「えびす」に天子は膺懲*1(ようちょう:こらしめること)と称して征伐を行うことができるのです。中華秩序は悪い言い方をすれば暴力団のTopの組織と一緒で、下部組織や他の組に「ナメられたら終わり」です。従うやつ可愛がったるけど、逆らうやつには容赦せん!ってことです。しかし、このときの煬帝は「不愉快だから二度とこんなもん見せんな」といっただけで終わりました。当時の煬帝自身の事情もあるのでしょう(隋はこの後、すぐ滅びます)。


先頃の中越(越はベトナムのこと)戦争(1979)でも中国はしきりにベトナムを膺懲すると言っていましたね。


膺懲されない一般的な理由としては、やはり海が挙げられるでしょう。陸続きの周辺国には比較的簡単に軍隊を派遣できますが、海を渡って数十万の軍を運ぶのは難しい。日本はラッキーなことに島国ですから膺懲も思うに任せない。実際、日本が侵略を受けたのは鎌倉時代になってから、あの世界最大の帝国を作ったモンゴルによるもので、しかも2度に渡って失敗、敗退しています。


刀伊の入寇(1019)」というのがあるが、中国の王朝じゃないので無視しています。


日本は島国である利点を生かして、早々に中華秩序から抜け出ています。


 






事大主義の悲劇


さて、朝鮮の方に話を戻しましょう。陸続きの朝鮮は島国日本みたいなわけにはいきません。ざっとですが2000年間に中国から1000回の侵略を受けています。2年に1度ですからW杯の倍くらいの頻度です。たまに抵抗も試みることもあるのですが。力の差は如何ともし難く、敗戦とかいうレベルではなく、全て完膚無きまでに叩き潰されます。こういう歴史の中で朝鮮では事大主義が根を張っていきます。


三韓(百済・高句麗・新羅)時代はまだマシでした。三国に分裂している分だけ国力は弱い(新羅は日本に朝貢していた事実がある)のですが、中華と直接国境のない国(百済とか)では独自の文化ができる可能性もあったのです。仏教国で、日本に仏教を伝えたりしていたのですが、三韓の中で最弱の新羅が唐に力を借りて朝鮮半島を統一して以降はもうダメでした。唐もタダで力を貸すわけではないのですから。目的は朝鮮半島の国土編入です。これはなんとか凌ぐのですが…



韓国知識人の主張によれば、有史以来、千回も侵略を受けたが、すべて撃退したという。しかし、前述のように嘘である。ほとんどの場合、徹底的に叩かれ、連行を免れた者は属国の従順な民となって、宗主国に阿諛迎合したのである。唐軍も、モンゴル軍も満州軍の侵入のときも、その負け方は、たいてい似たり寄ったりである。それは新羅史、高麗史、李氏朝鮮史と諸史の原典記録を一読すれば細かく記述されている。中国諸史だけでなく、朝鮮半島の歴史も大同小異である。韓国知識人の多くは、なぜ歴史を直視する勇気がないのであろうか

朝鮮半島の歴代王朝の国防政策は、たいてい専守防衛だから、兵数が少ない。李朝末期は数千人の単位程度で、ほとんど宗主国の防衛に頼りっぱなしだから北方から異民族が侵入してくると、たいていは城を棄てて逃げ惑い、農民はわめき、哭くばかりであった。たいがい敵が侵入してくると、各地方の軍隊は総崩れとなり、地方の長官は競って土地を献上し、帰順するか、逆に敵軍に従軍し、火事場泥棒を働く者も少なくなかった。宗主国をかさに、高麗や朝鮮国王にゆすりたかりを働き、一族の利益を図るのが、朝鮮半島の鉄則のようなものだ。千余年来、たいてい同じようなことを繰り返したのであった。だから千年進入され、千回とも敵を撃退したのではなく、属国になると誓ってから宗主国が兵を引いたという歴史事実が繰り返されている。ではなぜ戦後になると韓国知識人の歴史歪曲が、日を追ってますます神話まがいのものまでに変化していったかというと、それはどの民族も自存自衛のために欠かせない民族の自尊心にある


韓国は壬辰倭乱(豊臣秀吉公の朝鮮征伐のこと)で焦土と化した。だから三百年もへても立ち直れなかった。いやがうえにも倭乱のひどさを強調したいという気持ちはわからないでもない。しかし、考えてもみると、一回の大乱だけで三百年も立ち直れない民族は、世界中のどこにいるのか。もしあるとすれば、もっと恥を知るべきであろう。戦後、焦土化した日本は半世紀もたたずに再び経済大国になったではないか。千回も侵略され、すべての侵略者を撃退したという自慢話と、三百年も立ち直れないでいるという論理を矛盾することもなく主張することに自己撞着はないのであろうか。
 韓国知識人はつねにこのような歴史歪曲で「反日」を正当化する。


韓国人の反日台湾人の親日  黄文雄 光文社


事大とは「大に事(つか)うる」という意味で、1000回も侵略された朝鮮は中華という大に事えることを受け入れざるを得ませんでした。事大主義を取った以上、中国を宗主国とし、華夷秩序の枠にキッチリはめこまれ、大(中華)の文化をそっくり受け入れ、中華思想を信奉し、あの序列や礼にやかましい儒教を本国の中国より厳しく守る様になりました。むしろ進んで受け入れた側面もあります。儒教を国教にしたため、仏教は弾圧を受けます。自国の仏寺は自らの手でほとんど破壊してしまいました。こうして朝鮮は華夷秩序の中で最上の優等生となります。


この時代の様式の仏寺はむしろ日本の方に残っています。他にも日本には発明した土地ではとっくになくなってしまったものが数多く残っているのです。この点を指摘して陳舜臣は「日本人は保存の天才」と呼んでいます。


事大主義には利点と欠点があります。通常の状態であれば「大」に依存していればいいのですからすこぶる楽です。軍隊なんか装備しなくても朝鮮が攻められたら親分(宗主国)が守ってくれます。国内のシステムも自ら作る必要がありません。どうせそっくり中国の真似をするしかないのですから。国号(国の名前)は中国に決めてもらいます。自分で決めてはいけません(「朝鮮」も中国(明)にお伺いを立てて決めてもらった国号)。元号(日本では昭和とか平成とか)は中国の元号をそのまま使います。独自の元号は作ってはいけません。漢字が至上です。漢字以外の文字は見向きもしません。文学と言えば漢文・漢詩です。服も中国風にしました名前も中国風に変えてしまいました元の頃は服も名前もモンゴル風でした。チマチョゴリはモンゴル服からと言われています。強いものにはヘイコラするんですが、相手が弱いと分かると徹底的に痛めつけるという民族性が事大主義の中で培われていきました。ある意味利点ですが、この卑屈な精神の浸透と、固有の文化を育めなかった事実は悲劇としか言い様がありません。



動物がひどく苦しがっていることが判ときでさえ、一般の朝鮮人はまったく、関心を示さない。道路に病気になった猫や犬や、けがをした鳥などがいると、子供も大人も老人も手に手に棒や石を持って、この哀れな動物をいじめ殺してしまう。 アメリカ人 メソディスト派宣教師 ホーマー・B・ハルバート

また、事大は大が強大で1つしかなければ楽ですが、中国での王朝交替期の様に、大が変わるときはどちらに事えるか間違えば大変なことになります。また、大が複数になったときにも困ります。日韓併合前夜は清・露・日という3つの大がありました。朝鮮は伝統と強弱しか目に入らず、本当の友邦を見つけられませんでした…。


華夷秩序の優等生、朝鮮ではこれらの思想をミックスした結果、こういう理屈が成立します。



  • 中華思想により、偉さの順が中国・朝鮮・日本の順と認識している。
    今でも中国は父、朝鮮は兄、日本は弟と言っている。日本蔑視観の形成
  • 儒教の信奉により、なんでも序列をつけたがり、それが全てになってしまう。
    中国・朝鮮・日本の順が今でも崩せない。日本と対等などとんでもない!
  • 事大主義の反作用で、弱いもの、下のもの、負けたものにやたらに強圧的である。
    日和見で、弱い方には徹底的に弾圧しようとします。

例えば、明治維新(1868)で新政府となった日本は改めて朝鮮に国交を求め、国書を届けます。が、受け取ってもらえません。何故でしょう?


国書の文字に問題があったのです。新政府になった日本では、国書の中で君主である天皇を「皇上」と呼び、「登極(即位)」した。その国書を「勅」と呼んで持ってきたわけです。華夷秩序にどっぷり浸かっている(要するに中国の属国)朝鮮には大問題。「皇」の字も「登極」「勅」も使えるのは中華の天子(皇帝)だけであり、もし、この「勅」を受け取ってしまうと、形の上で朝鮮は格下日本の属国となってしまうのです。日本が朝鮮より格下なのはあの中華思想を基にしています。儒教信奉によって序列を異様に気にする朝鮮としては、格下日本に属国扱いされるのは耐えられません。そんな訳で国書は受け取れなかったのです。嘘みたいな笑い話ですね。…バカみたい。


国書受け取りを拒否された日本はこんな理由を聞いても納得できません。そりゃ当然でしょう。こんな考えは事大主義の優等生・朝鮮にしか涌いてこない発想ですから。日本は聖徳太子以来、華夷秩序の枠外にあったからその考えが理解できない。「国書の文字が気に入らない」と国書受け取り拒絶を聞かされた大多数の日本国民は「単なる言い逃れ」あるいは「馬鹿にされている」と感じたのです。いや、ホントにバカにされてるんだけど。そして朝野(ちょうや:政府も民間も)で「朝鮮、討つべし!」との世論が形成されてしまいました。


…結果的に軍事力で開国させられてしまいました。江華島条約(1876)です。


このお話は、朝鮮と日本のどちらが悪いとか言うような問題ではありません。事大主義朝鮮の悲劇です。そして、あえてこの時代で善悪を付けるなら、朝鮮が弱かったことが罪だったのです。


列強の帝国主義がはびこる弱肉強食のこの時代、弱いことは罪でした。この少し前にペリーが日本に来て黒船外交を行い日本を開国させました(1853:日米和親条約)。そしてハリスは不平等条約(1858:日米修好通商条約)を押し付けました。アメリカが悪いのか?違いますね。アメリカは当時の世界で常識的な行動を取ったまでです。相手より強い軍事力を持っていれば相手より有利な立場に立つのは理の当然で、当時、この時点で日本が弱いことが罪だったのです。


国際情勢や彼我(ひが)の実力も省みず、また、ことの真贋も見極められず、華夷秩序・儒教信奉・事大主義の王国の中で教条主義に凝り固まって突っ走っていくその姿勢は結局この後も改まらず、朝鮮にさまざまな悲劇をもたらしていくのです。


参考文献:小室直樹「韓国の呪い」光文社


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※引用文中の画像は、私が勝手に挿入

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