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2010年01月13日 (水)

拡散希望:「朝鮮進駐軍の非道を忘れるな」

 「朝鮮進駐軍」の朝鮮総連本部


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2009年11月01日 (日)

世界で「最も軍国主義国家」といわれた日本の実情

 久しぶりのBLOG更新である。今回は、大東亜戦争に関してアメリカ人からの視点と、日本人からの視点で、書かれた名著を「アメリカの鏡・日本」と「虜人日記」を紹介したい。これらが、どのような価値の書籍であるかを他の人の言葉を借りて紹介した上で、各書籍の一部を引用してみたい。

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2009年06月06日 (土)

NHKへの抗議デモ&大東亜戦争

【H21.7.12 一部追記】
 先日、シルスさんのブログにて、NHKへの抗議デモの動画の存在を知った。これは凄い。しかし、この件に関して、マスコミは黙認とのこと。

どちらも役立たず
 eine kleine Katzen Schelle 2009/06/01(Mon) 12:10
東京のJAPANデビュー抗議デモもすごいことになっていたようですね。参加者1100人(゜▽゜*)
【一般参加】 第2弾-20 チャンネル桜主催 NHKに抗議するデモ in 渋谷
NHKにこれだけ人が入って抗議したなんて前代未聞じゃないでしょうか。それでも報道しない犬HK。日本の公営放送局が「日の丸拒否」とは意味が分かりません。ひょっとして右翼と間違えてる?(笑)国民はNHKをチャイナ電視台と間違えそうです~!

 この動画の中に、”「日本解放第二期工作要綱」でググってね!”という文字が時々表示される。この件に関して、書いた記事をご参考までに以下に記す。

・(H17.5.13)日本の赤化(共産化)工作の一環としての性教育
・(H17.8.23)中国共産党「日本解放第二期工作要綱」

 ちなみに、前者の記事に、中国共産党の工作と同じようなことが記されていた米国による対日占領政策の内容(安岡正篤著)を引用している。このことや、次の書籍を読むと、米中間のパイプが、我々が認識している以上に太いことを改めて思い知らされる。
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2008年08月19日 (火)

東京裁判を中心とするアメリカ占領政策による失われた日本的思想と、自由主義的思想の浸透

 日本人の視点で書かれた東京裁判に関する書籍を4、5冊読み終え、これを整理しようかなと思ったのが、今から9ヶ月ほど前のことであった。しかし、その作業よりもむしろ優先的にしなければならない私にとって大切なことがあると考えだしたのが、次の文献を読んでのことだった。

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2006年08月14日 (月)

8月15日は「終戦記念日」ではない

 一昨日前の8月13日は、韓国がアメリカから独立した本当の記念日であった。

今日は朝鮮の独立記念日 2006/08/13(日)
 大日本焼肉文化研究所blog


http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1732307

1948年8月13日に朝鮮はアメリカから独立しました。
なお8月15日に独立したというのは当然捏造です。

これも有名な定説です。
※画像は私が付与

 アメリカから独立した日が、終戦から3年後の昭和23年8月13日であったにもかかわらず、8月15日としている理由は、李承晩が、日本の敗戦によって(日本の)植民地支配から解放されたと喧伝することで、国民の愛国心を煽るためといわれている。
 お隣の国の独立記念日(光復節)は、捏造である。

 それでは、我が国の終戦日(昭和20年8月15日)についても少し考えたい。8月15日が終戦記念日といわれているが、その日に戦争が終結したのだろうか?
 
・8月15日は「終戦記念日」ではない-戦後の日本
 あの戦争は何だったのか [著] 保阪 正康

「シベリア抑留」という刻印
 8月15日、玉音放送がなされると、天皇は政務室に一人こもり、自らが行った放送を聞いていた。そして放送が終わるとすぐに侍従部屋のベルを鳴らした。詰めていた侍従の岡部長章が政務室に赴くと、天皇は岡部に「今の放送はどうだったろうか」と尋ねた。国民が玉音放送をどのように受け止めているのか気にしている様子であった。
 
 岡部の兄、長挙は、朝日新聞の社長を務めていたので、岡部は「では、兄に聞いてみます」と答えた。朝日新聞に赴いて、長挙に確かめてみると、「全国から入ってくる情報では、みんな泣きくれてはいるが、国民は放送の内容をきちんと受け止めている様子である。また特別、不穏な動きもないようだ」という。
 
 早々、天皇にそのことを伝えると、「あっ、そうか。それはよかった」といって晴れ晴れした表情を見せたという。それは、昨日までの思いつめた様子とは全く裏腹に感じられたと。

 (省略)

 戦線の各地では、まだ混乱はあったが次第に日本軍は武装解除していき、アメリカを中心とする連合国に投降していった。
 
 ただ、8月15日以降も収まらない地があった。満州、樺太、千島列島の、ソ連との戦線である。
 
 「日ソ中立条約」を一方的に破り、8月9日、ソ連は満州に侵攻してきた。その勢力たるや、戦車5,000両、飛行機5,000機、火砲24,000門、兵員174万名という圧倒的なものであった。一方の関東軍は、ほとんどの戦力が南方、本土に送られており、わずか戦車200両、飛行機200機、火砲1,000門しかなかった。兵士には銃器さえゆきわたっていなかった。

 ソ連軍の南下は止めようがなかった。新京(現長春)にあった関東軍司令部も撤退を余儀なくされ、司令部は満州南の通化に移されていく。
 
 悲惨だったのは、関東軍司令部が撤退となり、取り残された日本人たちであった。兵士はもちろんのこと、満州には、女性や子供達を含む、数多くの民間人がいた。彼ら彼女らは、ソ連兵による容赦ない略奪、蹂躙にも哂された。

 大陸の満州から南下する部隊とは別に、ソ連軍はまた、樺太方面から、それにカムチャッカ半島から千島列島沿いに、ニ経路に分け侵攻してきた。ここでも多くの日本の民間人が犠牲となっている。

 8月15日にポツダム宣言受諾の意を表明したあと、関東軍も武装解除を準備する。
 
 19日になると、ソ連極東軍司令部から、関東軍に通達が来た。ソ・満国境近くの町、ジャリコーウォにて「話し合い」を持つために出向くように、とのことであった。
 
 ソ連側からは、極東軍司令官のワシレフスキー元帥、日本側からは、総参謀長の秦彦三郎以下二人の参謀が同行した。
 
 そこでワシレフスキーは、次のように命令を示達している。
 
 「即刻、関東軍を武装解除すること」、「解除した上で、1,000人単位で大隊を作り、指令がでるまでそれぞれの地で待て」と。

 示達を受けた関東軍は、ワシレフスキーの言葉通りに従った。
 
 関東軍兵たちは、「1,000人単位で大隊を作り待てということは、きっと、我々を日本へ帰国させてくれるからだろう」と勝手に思い込み、喜んでいた。

(続く)

 話が少し変わるが、日本軍を帰国させようと思わせ、そして、兵員を小分けにすることで集団としての戦力を削ぐ方法が、イギリス軍がビルマにいた日本軍に行ったそれと似ていると感じた。

・捕虜になるまで
 アーロン収容所
捕虜生活に入る

burma_map.gif こうして、いよいよ本格的な捕虜生活に移るわけであるが、ここで捕虜生活の待遇や作業などの全般の様子を説明しておこう。(省略)
 
 戦後、ビルマ各部隊は、その師団や旅団という大きい部隊を単位としてモールメン、ラングーン、ペグーなど各地に分かれて収容され、労役に服させられたのだが、お互いに他の部隊の様子ははっきりわからなかった。ラングーンは、アーロンとコカインの両収容所に、それぞれ「安」師団と「菊」師団が入っており、その他何部隊だったか忘れたが、ミンガラドン飛行場にも収容所があり、その他の兵隊とはときどき作業場で顔を合わせた。軍医として召集され内地の部隊で一度会ったきりの学校友達とバッタリ出会ったときの驚きなど未だに忘れられない。戦争中に捕虜になった者は私たちとは完全に隔離され、戦犯者とともにラングーン市の中央監獄に入っていたようである。
こちらの地図を私が付与

 この方法は、植民地支配の経験で学んだヨーロッパの分割統治というシステムの一環なのだろうか。分割統治とは少数の民族や華僑に特権を与えて大多数の現地人を支配させ、その上にヨーロッパ人が坐るという支配のしかたである。日本より劣悪な植民地政策を実施したヨーロッパがアジアから恨まれない秘密は、恐らくここにあるのだろう。朝鮮半島で有事となった際、この分割統治が行われるかもしれない。
 さて、話を、ソ連の命令で、1,000人単位に小分けされた関東軍のその後に戻す。

・8月15日は「終戦記念日」ではない-戦後の日本
 あの戦争は何だったのか [著] 保阪 正康
 やがて列車に乗せられ連れて行かれるのだが、その先は日本への帰国の道ではなかった。シベリアの収容所だったのである。
 
 ワシレフスキーの命令示達から連行までには一週間ほどのブランクがあった。実はこの間に、スターリンとトルーマンとの間で、こんなやり取りがあったのである。
 
 "勝ち戦"に乗じて日本の領土が欲しかったスターリンは、トルーマンに「我々は関東軍を掌握し、北海道方面に侵攻している。ソ連の制圧地域として北海道を認めて欲しい」と要求していた。しかし、トルーマンは、決してそれを認めなかった。スターリンはもう一度、「北海道が欲しい」と重ねて訴えるが、やはり断られてしまう。ならばと、「領土の代わりに、関東軍の兵を労働力としてもらう」と勝手に決めてしまった節があるのだ。

 こうして「シベリア抑留」が行われた。多くの日本兵が、極寒の地で強制労働につかされた。宿舎に暖房らしい暖房はなく、粗末な食事しか与えられなかった。そのうえ、スターリン主義への洗脳教育が強制された。そんな抑留が、長い者で13年近くも続けられた。
 
 昭和31年、「日ソ共同宣言」時のソ連側の発表では、抑留者の総計は6万人とされた。だが、事実はそんな生易しいものではない。少なく見積もっても60万人、一説によると100万人の日本兵が抑留され、戦後に犠牲になった兵士は10万人近くに及ぶとの説があった。
 
 また、ソ連軍は8月15日以降も、国家の意思として攻撃の手を緩めなかった。樺太、千島列島に侵攻を続けていたのである。

 8月18日、激しい砲撃の末、千島列島北端の占守(シュムシュ)島、幌筵(バラムシル)島に侵攻。さらに28日には択捉(エトロフ)島、9月8日には歯舞(ハボマイ)、色丹(シコタン)島を占領している。そして、今でも北方領土は日本に還ってきていない。
 
 「日ソ中立条約」を破り、8月15日以降も侵攻、それどころか9月4日までも侵攻を続けていたのである。これは、いったいどういうことか。ソ連のある外交官に質した時に、彼は次のような言い分を繰り返した。
 
 「我々にとっては、日ソ中立条約よりヤルタ会議の"秘密議定書"の方が国際的にみて意味が大きかった。それに我々ソ連は、日本が降伏文書に署名したその日(9月2日)が戦争の終わりであり、それまでは戦争状態だったのだ」
 
 "戦後"も、早々は続けられてきたのである。

 我が国は、8月15日以降もソ連の侵攻を受け続けていたのである。ちなみに、日ソ中立条約を破り、侵攻し続けた際の言い訳に使われたヤルタ会議は、次のようなもの。

終戦後の日ソ激戦
 国際派日本人養成講座
■1.北海道北半分をソ連に■

(省略)

 昭和20年2月11日に、米英ソの指導者が結んだヤルタ協定では、樺太の南半分と千島列島がソ連に引き渡されるよう決められていたが、これをさらに北海道北半分にまで拡げよというのがスターリンの新たな要求だった。樺太、千島列島、北海道北半分をソ連圏内に収めてしまえば、オホーツク海はソ連の内海となり、太平洋への出口も自由になる。

 このスターリンの野望により、終戦後も激しい日ソ間の戦いが樺太と千島で展開されることになった。

(省略)

 このような日本の領土に対する野心を剥き出しにするソ連に対して、疑うことなくアメリカとの仲裁をお願いしようとしていたのだから皮肉なものである。これでは、戦争が単純に終結できるわけがない。

 では、ソ連の侵攻によって、8月15日以降も戦争が継続していたとなると、終結日はいつになるのだろうか?

・8月15日は「終戦記念日」ではない-戦後の日本
 あの戦争は何だったのか [著] 保阪 正康
太平洋戦争はいつ終わったか?

(省略)
 「戦争が終わった日」は、8月15日ではない。ミズーリ号で「降伏文書」に正式調印した9月2日がそうである。いってみれば8月15日は、単に日本が「まーけた!」といっただけにすぎない日なのだ。
 
 世界の教科書でも、みんな第2次世界大戦が終了したのは、9月2日と書かれている。8月15日が、終戦記念日などといっているのは、日本だけなのだ。

 戦争終結日は、昭和20年9月2日である。なお、昭和27年4月28日まで、GHQによる軍事占領につき、国際法上「戦争状態」であり、国民に主権がない状態が続いた。

・戦後50年問題の本質
 亡国か再生か [著] 西村 真悟
「戦後」の背景にあるもの

 本問題は、戦後50年問題といわれていることから、「戦後」とはどういう時期か、押さえておかねばなりません。昭和27年4月28日まで、日本は連合国軍総司令部(GHQ)の軍事占領下にありました。これが、「戦後」の出発です。この間、日本国民に主権はありませんでした。軍事占領は、国際法上「戦争状態」なのです。
 
 しかし、GHQは日本政府の統治機構を温存し、それを使って背後から統治を行います。つまり、彼ら白人がアジアの植民地支配に用いた分割統治の手法です。従って、GHQのコントロールは日本国民の目に見えずに遂行されました。

 この占領期間中に、ご存知のとおり日本国憲法、教育基本法、皇室典範などほとんどすべての国家基本法制が新たに制定されました。日本国憲法などは、GHQの青年将校数名が一週間で起草したのです。これらGHQの行為は占領中に被占領国の基本法制を変革するもので、明白にハーグ条約違反、つまり国際法違反行為です。

 日本では、戦争と戦争犯罪との区別を明確に議論されないのですが、前者は適法行為で後者は違法行為です。そして、非戦闘員の殺傷を目的とした無差別爆弾、原爆投下そして被占領国の基本法の制定は、明らかに戦争犯罪なのです。
 
 GHQの占領政策がどういうものであったか、それを明白に示すものにGHQによる日本の言論弾圧があります。そして、これは未だ我が国の言論界を呪縛しつづけていることなのです。
 
 従って、「戦後」が未だGHQの敷いたレールの上にあるということ、そして謝罪決議問題がいかなるマインド・コントロールのもとにあったかということがお解かり頂けるでしょう。
 
 以下は、GHQの検閲事項です。これに触れる言論は国民の耳目に入りませんでした。
 
 1.GHQの批判
 2.東京裁判の批判
 3.GHQが日本国憲法を起草したことへの批判
 4.検閲への言及
 5.アメリカの批判
 6.ソ連の批判
 7.英国の批判
 8.朝鮮人の批判
 9.支那の批判
 (省略)
16.戦争弁護の宣伝
17.神国日本の宣伝
18.軍国主義の宣伝
 (省略)
22.戦争犯罪人の正当化または弁護
 (省略)

 これら30項目の言論が封印された空間が、「戦後」であり、「戦後50年決議問題」の背景です。
 
 国旗や国歌を否定してきて謝罪決議を積極的に推進した政党のことを考えてください。その政党は、未だ30項目のタブーのいくつかを忠実に守っているではありませんか。

 宣戦布告をしない真珠湾攻撃が卑怯だというアメリカの根拠がハーグ条約に基づいているが、我が国に対して、憲法、教育基本法、皇室典範などを主権がなく拒否できない占領期間中に、押し付けた行為もハーグ条約違反である。どちらが悪いかといった判断は、ここではしない。ただ、日本人の意志を入れた真の基本法を日本人の手によって作り上げる願いだけは、みなさんと共有したいと思う。
 
 GHQによるマスコミのコントロールに関する記事は、以前書いたので深く述べないが、ここでも、分割統治が行われたと考える。つまり、少数のマスコミに特権である放送免許を与えて国民を支配させ、その上にGHQが坐るという支配のしかたである。マスコミの偏向報道はが根深いのでメスを入れたい問題と考える。何気に、Meine Sacheさんの「放送免許を紙切れにすることによる既得権の無効化=放送事業の自由化しかありません。」という案が特効薬なのかもしれない。

 日本の政治における分割統治の悪例も次に示すこととする。

日本の分割統治
 経済コラムマガジン 04/8/2(355号)
(省略)

選挙で通用しない分割統治
国民がバラバラになるほど管理・支配が容易になる。さらにバラバラになった国民を対立させることによって、管理や支配がより容易になる。「分割統治」という言葉があるが、日本国民はまさに「分割統治」されている。しかし国民は不満を持っていても、多くの場合それは個人の問題と見なされる。特に今日のような「勝組」「負組」という分け方が、このことを助長している。

先日、サンデープロジェクトに出演した竹中大臣が昨年度の自殺者の数が史上最多になったことに感想を求めらた。彼は「構造改革が進んだから自殺者が増えたのではなく、多重債務者が増えたことが原因」と答えていた。多重債務者が増えたことにマクロ経済政策は全く関係がないかのような発言である。つまり自殺者の増加は小泉政権の政策が原因ではなく、あくまでも個人の問題と言っているのだ。驚くことに今日では数少ない小泉・竹中信奉者である田原総一郎氏は、このインチキ発言に納得していた(他の出演者にはささいなことにも食って掛かる田原氏は、この竹中氏に対してこれまで批難めいたことを言ったことがない)。

どの地方の財政も苦しいが、合併する自治体には特例公債の発行を認めている。これも地方自治体を管理するための「分割統治」の手法の一つである。合併が住民にとって良いことなのかどうかは関係がないのである。もし地方議員の数が多過ぎると言うのならば、議員の数を減らせば良い話である。


先週号で述べたように、昨年の総裁選でほとんどの業界が小泉支持に回った。普通に考えれば、全く信じられない行動である。例えば公共投資が毎年減らされているのに、土木・建設業界が小泉支持に回ったのである。これは小泉支持を打出した業者だけに仕事を回すという話があったと推測する他はない。もしそうでなければ、土木・建設業界はマゾヒストか大ばか者の集まりということになる。程度の差はあるが亀井・高村・藤井の3候補は公共投資は減らし過ぎと訴えていたのに、こちらには票が集まらなかったのである。

他の業界も様々な約束の元に小泉支持に傾いたと考えられる。このようにバラバラにされた国民を「分割統治」することは容易である。「お前だけは助けてやる」と言えば良いのである。「勝組」にならないまでも、「負組」になりたくない人々の心理を巧みについている。

一般の国民だけでなく、政治家もバラバラにされている。小泉首相の政策は支持できないが、小泉首相は支持すると言ったわけの分らない事を言い出す政治家が続出した。「毒まんじゅう組」と揶揄されても、ポストほしさに抜け駆けする政治家が沢山いた。派閥の力もなくなり、まさに政治家までが「分割統治」されているのである。


バラバラになった国民も不満と不安を持つ。しかし自己責任が強調される今日の日本では、それを口に出すことがはばかれる。そして国中がこれだけバラバラにされると、結束の固い組織が相対的に力を持つようになる。今日かろうじて結束を維持しているのは宗教団体と公務員である。

本来ならマクロ経済政策によって、経済を拡大する中で問題を解決すべきなのに、問題を分配の問題にすり替えている。また問題を分配の問題にすることによって、利害関係者の対立を誘っている。たとえば年金の問題でも、国民年金と厚生年金の加入者同士を対立させたりする。

さらに分配が問題になる時にはたいてい「悪者」が仕立てられる。補助金の場合は地方が「悪者」であり、年金なら議員年金・年金未納者や社会保険庁が「悪者」である。しかしこれらの「悪者」が征伐されても、問題は解決しない。問題が解決しないのに、さもこれによって問題が解決するような錯覚を国民に与えている。そしてこのような動きを助長しているのがマスコミである。



国民は小泉政治に強い不満や不安を持つがバラバラにされているので、これが声にならない。もし日本が一党独裁国家や専制国家なら、このような日本国民なら完全に封じ込めることは可能であろう。しかし曲がりながらも日本は民主国家である。ここが重要なポイントである。国民は政治に対する不満や不安を一票に託すことができるのである。

小泉首相周辺は業界や地方のボスの支持を取り付けておけば、今回の参院選でも勝てると安易に考えていた。たしかに自民党の総裁選ではその手法がみごとに通用した。しかし末端の自民党の支持者は、今回の参院選で小泉政治にはっきり「ノー」を突き付けたのである。もっと言えば根っからの自民党支持者は、昨年の衆議院選挙から既に小泉首相を忌み嫌うようになっていた。実際、自民党に今回投票した人でも「これが本当に最後」と悲痛な思いで投票した人が多いはずだ。


小泉政治の本質は、国民をバラバラにして抵抗できないようにすることである。マスコミもこれに乗せられて踊って来た。典型的なのが道路公団であり郵政である。これらを次々と「悪者」に仕立て、国民の敵にするのである。さらにこのような問題を提起することによって、都会と地方を対立関係に持って行った。

もちろん筆者は道路公団・郵政に全く問題がないと言っているのではない。しかし日本には他に解決すべきもっと重要な問題が沢山ある。これらから国民の目をそらすことが小泉流政治の本質である。ところで既に小泉政権は泥舟であることが知れ渡っている。誰がこの泥舟を最後まで支えるのか見物である。

 最後に、墓地の話題をさせて頂く。アングロサクソン系の民族は、墓地を大事にするようである。それに対して、海外の日本人墓地は、あるのかどうかもわからなかったり、そもそも無かったりもするようだ。

・シンガポール編
 アジアに生きる大東亜戦争
日本人墓地と処刑「戦犯」の墓
(省略)

中島 シンガポールに行くと、寺内正穀元帥の長男で南方軍総司令官だった寺内寿一元帥、ベンガル湾洋上で亡くなった小説家の二葉亭四迷、テニスのデビス・カップ選手で、マラッカ海峡に投身自殺した佐藤次郎さんのお墓に詣でることにしていますが、いつも、兵隊さんとからゆきさんのお墓が多いので悲しくなります。シンガポールの日本人墓地で日本人がお線香をあげている姿などはついぞ見たことがないのです。
 ところが、マニラの米・比軍共同墓地には、アメリカのツアーが、大劇場の入口のように密集しています。
 
玉井 サッチャーとロンの国には宗教と愛国心があり、ヤスとノボルの国には宗教も愛国心も無くなってしまったのですよ。腹立たしいですね。

 それにしても、ジャカルタには日本人墓地はないし、マニラには戦犯墓地はあるが日本人墓地があるのか無いのかわからないし、シンガポールの日本人墓地の広さはわずか6千坪だというし、クアラルンプールの日本人墓地はもっと狭くてしかも荒れ果てたままだというし、バンコックの日本人墓地も似たり寄ったりでしょう。これは、徳川幕府300年の鎖国のせいもありましょうが、明治開国後、120年を経過してもこの体たらくだというのは、日本民族として猛省しなければならぬ、痛切な事実ですね。

 墓地は何よりも先に整備すべきで、それが済んだ後の余ったお金をODAにまわすべきと考える。例えば次のフラッシュのような英霊のお心を蔑ろにすると、そのツケが批判となって外務省に何れ跳ね返ってくることであろう。そうなる前に手を打って頂きたいものである。

神風特別攻撃隊・フィリピン編 (フラッシュ)


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 追伸、靖国神社(九段)に参拝した。参列の途中、何種類かの書籍が売られていることがわかった。靖国神社のことを余にも知らない自分が嫌だったので、帰りに購入することとした。購入した書籍は3種類である。そのうちの一つに、戦死された方のご遺書が掲載されている「英霊の言乃葉(1)」という書籍がある。その中から上記フラッシュのフィリピンに纏わる英霊のご遺書をいくつか引用させて頂く。

・愛児への便り
 英霊の言乃葉(1) 靖国神社

海軍大尉 植村 真久 命
昭和十九年十月二十六日
神風特別攻撃隊大和隊
比島海域にて戦死
東京都出身 立教大学卒 二十五歳



 素子、素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入つたこともありました。素子が大きくなつて私のことが知りたい時は、お前のお母さん、住代伯母様に私の事をよくお聴きなさい。

 私の写真帳も、お前の為に家に残してあります。素子といふ名前は私がつけたのです。素直な心のやさしい、思ひやりの深い人になるやうにと思つて、お父様が考へたのです。

 私はお前が大きくなつて、立派な花嫁さんになつて、仕合せになつたのをみとどけたいのですが、若しお前が私を見知らぬまゝ死んでしまつても決して悲しんではなりません。

 お前が大きくなつて、父に会いたい時は九段へいらつしやい。そして心に深く念ずれぱ、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮びますよ。父はお前は幸福ものと思ひます。生まれながらにして父に生きうつしだし、他の人々も素子ちやんを見ると真久さんに会つてゐる様な気がするとよく申されてゐた。またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一つの希望にしてお前を可愛がつて下さるし、お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。必ず私に万一のことがあつても親なし児などと思つてはなりません。父は常に素子の身辺を護つて居ります。優しくて人に可愛がられる人になつて下さい。
 
 お前が大きくなつて私の事を考へ始めた時に、この便りを讃んで貰びなさい。

 昭和十九年○月吉日   父

 植村素子ヘ
  追伸、素子が生まれた時おもちやにしてゐた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒にゐたわけです。素子が知らずにゐると困りますから教へて上げます。

【昭和三十五年八月~十月靖國神社社頭掲示】

・遺言状
 英霊の言乃葉(1) 靖国神社

海軍少佐 吹野 匡 命
昭和二十年一月六日
神風特別攻撃隊旭日隊
比島方面にて戦死
鳥取県淀江町出身 京都大学卒 二十六歳



母上様

 十九年十二月二十一日 匡

 私は永い間本当に御厄介ばかりおかけして参りました。色々の不孝の上に今又母上様の面倒を見る事もなしに先立つ不孝をお許し下さい。

 昨秋、私が海軍航空の道を選んだ事は、確かに母上様の胸を痛めた事と思ひます。常識的に考へて、危険性の少い道は他に幾等もありました。国への御奉公の道に於ては、それでも充分果たされたかも知れません。併し、この日本の国は、数多くの私達の尽きざる悲しみと嘆きを積み重ねてこそ立派に輝かしい栄えを得て来たし、又今後もこれあればこそ栄えて行く国なのです。私の母上はこの悲しみに立派に堪へて、日本の国を立派に栄えさせてゆく強い母の一人である事を信じたればこそ、私は何の憂ひもなしにこの光栄ある道を進み取ることが出来ました。私が、いささかなりとも国に報ゆる所のある益良雄の道を進み得たのも、一に母上のお蔭であると思ひます。

 母上が、私をしてこの光栄ある海軍航空の道に於いて、輝かしい死を、そして、いささかの御奉公を尽くさせて下さったのだと誇りをもって言ふ事が出きます。

 美しい大空の白雲を墓標として、私は満足して、今、大君と愛する日本の山河のために死んで行きます。

【昭和三十九年七月靖國神社社頭掲示】

・最後の手紙
 英霊の言乃葉(1) 靖国神社

海軍中尉 岸 文一 命
昭和十九年十月二十四日
比島にて戦死
新潟県刈羽郡田尻村出身
新潟第二師範学校卒 二十二歳



 秋も深くなり裏庭で鳴く虫の音は今年も変わらぬことと思ひます。皆さんと一緒に物語つた夜の数々の追憶で胸一杯になる事があります。きつとご両親様はじめ妹弟もさぞかし私の事を片時もお忘れなく御心配下さることと推察いたします。

 五月帰省の折妹から次の話を聞かされました。「お母さんは兄さんの入隊以来、毎日写真の前に陰膳を供え、自分ではお茶を断ち、毎日鎮守様へ武運長久のお祈りに参拝していらつしやる」と、私は有難くて返事が出来ませんでした。殊に入隊出発の前夜は歓送の宴で非常にお母さんには疲労なされておられたのに、翌日の準備で一睡もとられず、私の打ち振る国旗のサインに『帰子待喜』と署名下された。尊いこの四字は暇さへあれば拝見して心の糧とし教訓としております。戦は益々苛烈になりました。到底生還は望めません。私も多数の方々や可憐な学童の咽をつり上げて軍歌を唄ひながら国旗の波で元気一杯送つて下されたあの姿が、今もなお脳裏に深く染み込んでゐます。この世に天恩と父母の恩が最なるものと信じてゐます。お母さんは日頃病弱でいらつしやいます。妹や弟はどうぞ私の分をも孝行して下さい。

 御両親様妹弟の健康を神かけてお祈りし、不孝な私をお赦し下さい。先般お送りしたアルバム三冊は妹弟への記念です。どうぞ私の事は御心配なく、戦死とお聞きの時は私の本望とおよろこび下さい。さやうなら。

 昭和十九年十月十四日夜

【昭和三十九年九月靖國神社社頭掲示】

・子供の養育をたのむ [妻に遺す最後の言葉]
 英霊の言乃葉(1) 靖国神社

陸軍兵長 志水 正義 命
昭和二十年六月三十日
レイテ島にて戦死
熊本県天水町出身 三十五歳



 政子その後元気ですか。私も至極元気にて戦地に向かひます。男子の本懐これにすぎざるは無し。
 
 海上無事に行き着いたれば希(のぞみ)も半分は達し得たのだ。戦地は覚悟の前、病気で倒れるのは残念に思ふから充分身体には注意し、花々しい戦死を希んでゐる。地球上に生を得て、一度は死なねばならぬお互いだ。御国のために戦死致し、神として靖国神社に祀られ同胞より拝しられるとはなんたる幸福であらう。お前の名誉とも思ふ。しかし其の反面には、いい知れぬ淋しさ、悲しさがあると深く信じ切つてゐる。これも定まつた運命なのだ。人間の力では如何とも出来ないのだ。願くは志水政子となつた以上、可愛い子供の養育に務め成長するのを楽しみに志水家を立派に立ててくれる様に願ひたい。

 淋しいからまた再婚すると申せば俺は何ともいはず九段の花の下よりお前の幸福を祈つてゐる。然し子供のことは末々まで幸福で暮す様願ひたい。

 一人の子供は台湾の兄様に貰つてもらひなさい。この度の子供が男の子であればと何時も願つてゐる。
 
 御両親様のことはくれぐれもよろしく頼む。お前も充分身体に気をつけて元気にて暮らしなさい。

 ではこれにてお別れ致します。

志 水  正 義


  政  子 殿

【昭和四十一年三月靖國神社社頭掲示】

 両親を大事に思う心や、祖国を愛する心が今より遥かに強かった時代であったことが遺書より伺えた。命に代えても守るべきものがあった時代の政治にて、現在の経済発展の基盤となる産業の種が蒔かれた。また、和を大事にする道徳教育や、国民のことを考えた法律が制定された。だが、この時代は、戦争の負の面だけが一方的に強調されているように思える。真に国益を考えながら国の舵取りを行ってさえも、戦争を避けられなかった。植民地拡大(戦争)を望む国々があったのだからと、遺書を読みながら考えさせられた。

 古き良き日本の心を有した戦時中の話に蓋をし、そこから良い点を学ぼうとする謙虚な姿勢が失われかけている。国よりも個人の権利だけが重視される現在において、政治家も同様に国益よりも私腹を肥やす方を選び、中国や韓国といった諸外国に恫喝されながら売国謝罪外交が行われている。戦争がないのは、謝罪外交が良かったのではなく、単に中国や朝鮮が戦争する準備ができていないだけである。

 私自身、戦争反対である。ただ、昨今の平和主義のような空念仏を唱え、そこで思考停止をするのではなく、戦前、戦中の精神や、制定した法律、実施したことなどが現在の社会にどのような結果をもたらしたのかというようなことを考えたい。年間3万人を超える自殺者をだす閉塞感漂う状態を打破するためのヒントが、その時代にあるに違いない。

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・(H18.7.25)天皇さまが泣いてござった


【参考書籍】
あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書
新潮社 [著] 保阪 正康
ASIN:4106101254 /新書/251頁
発売日:2005-07
ランキング&評価:---位 4.0
価格:¥ 756 [2006-08-15 Amache]
2 - 唖然。
4 - 大東亜戦争を総括する一冊
3 - 全体の流れを把握できる、が…
5 - 太平洋戦争を見事に読みやすくまとめた本。著者のメッセージが非常に明確
5 - 昭和史研究のダイジェスト


アーロン収容所
中央公論社 [著] 会田 雄次
ASIN:4122000467 /文庫/244頁
発売日:1973-01
ランキング&評価:---位 5.0
価格:¥ 600 [2006-08-15 Amache]
5 - 日本国民の財産としての捕虜体験の記憶--この記憶を生かすのは我々である。
5 - 優れた人間観察の本
5 - 軍人でない人の、戦争が終わった後に始まる戦記です
5 - 異民族が交錯した場所
5 - 他者を知るための必読書


亡国か再生か―自虐50年の戦後日本から脱却する
展転社 [著] 西村 真悟
ASIN:4886561179 /単行本/300頁
発売日:1995-12
ランキング&評価:---位
価格:¥ --- [2006-08-15 Amache]
No User Review


アジアに生きる大東亜戦争
展転社 [編集] ASEANセンター
ASIN:4886560458 /単行本/342頁
発売日:1988-10
ランキング&評価:---位 3.0
価格:¥ 1,890 [2006-08-15 Amache]
3 - 忘れ去られたある正義


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